2008年04月18日

俺達にとっての青春は「白竜バンド」!




皮ジャンにリーゼント、バイク姿が似合う男だった白竜はキャロルやクールスに連なるツッパリ
ロックンロールの系譜のひとつのように見えても、よりハードでメッセージの強いバンドとして
捉えていました。
当時、早稲田の学生だったと思いますが、キーボードの小室哲哉も強力で弾けたプレイを見せ
てくれました。
管理された大学祭とは対抗的な位置づけにあった自主的サークル祭にも招いて彼らに講堂で
演奏をしてもらったこともありました。
みんなで燃えたなあ~。前座は大学のサークル仲間のバンド「レボリューション」!
予算ゼロから立ち上げた「白竜プロジェクト」。皆が皆、若くて熱かったよな。



光州City(バー二ング・ストリート)    1981年
作詞作曲:田 貞一(白竜)

暑く燃えてる 南の大地が
俺の眼を覚ます
五月の空に 銃声が鳴り響く
街は炎に包まれた
自由を叫ぶ人の 歓声で街は沸きたっている
光州City 時代の嵐が吹きすさぶ街さ

テレビの画面に映ったあいつが
不敵な笑いを浮かべてた
額を切られた男が右手を上げ
勝利のVサインを送る
五月の愛の嵐に 人々は熱く燃えている
光州City 時代の嵐が吹きすさぶ街さ

子供を殺された 年老いた女が
大地をたたき 泣きじゃくる
女や子供が 年老いた男までが
兵士達に 立ち向かって行く
長すぎた冬の時代に終わりを告げるために
光州City 時代の嵐が吹きすさぶ街さ
光州City 時代の嵐が吹きすさぶ街さ



当時、「光州は告発する」みたいなタイトルの映画を何度も観たよな。
「プリパ」(韓国語で根っこの意味か?)なんて歌が流行っていて、「膝をついて生きるよりは
/立ったままで死のうじゃないか」なんて韓国の歌だったよな。
日本だってまだまだ不自由な時代だったよな。
この曲が自主規制だか自粛だか発禁だか知らないけれど発売中止に追い込まれたわけだ
し、インディーズで出したけど放送禁止は今も続いているんじゃないのかなぁ?
韓国も軍事政権から民主化されて、内乱罪的な扱いをされていた「光州事件」も今では民主
化闘争として正当に歴史的評価をされているわけだから、その事件を歌ったこの曲が何時ま
でも世に出せない幻の曲にしている日本って何なんだろうな?
人畜無害な曲は大量に消費されるのにね。



「光州City」に限らず「白竜バンド」は最高の80年代ロックでした。
一日も早く「白竜」のLPがCDで再販売されるようになったらいいな。
僕が最後に彼らを見たのは青山・草月ホールだったと思うんだけれど、すっかりAORしていて、
正直ちょっとショックでした。
白竜バンドはセカンド「アジアン」までがロックしていました。
僕たちにとっての「いちご白書」は韓国民主化連帯だったり、光州事件だったのかもなぁ。

そんな時代を描いた映画が5月にやってきます。
そんな国家的内省を含めた映画が制作可能になるまで韓国は自身の犠牲で民主化を勝ち
取ったわけです。
予告編を見る限り、白竜が「光州シティ」で歌ったことと同じ状況が軍に包囲された光州市で
起きていました。こんな蛮行がつい28年前に軍政化だったお隣りの国で起きていたのです。

はままつ映画祭や浜松東映のレイトショーで公開されるといいんだけどな。
シネコン系やZAZAじゃ公開予定はあるのかなぁ?

【映画「光州5.18」公式サイト】http://may18.jp/
【白竜】http://www.hakuryu.com/hp/index.html
  

Posted by 放課後倶楽部 at 17:03Comments(2)音楽

2008年04月18日

自己満足ながら…




なんとなく全体像が見えてきたベランダのプチテラス化計画です。
味気ないコンクリ床に陶器のタイルを敷いて、オープンカフェで見かけるようなお洒落っぽい
テーブルとイスを置いてみただけなんだけど、本人的には「うわっ!ちょっとカフェっぽい感じ
じゃんかよっ!」と感激する単純なワシ。
天気の良い日や気候の良い時は自宅カフェ空間のひとつになりそうです。
読書するなりノートPCを持ち出してサクサクお仕事なんていいかもいいかも(笑)。
でも長時間座ると尻も背中も痛くなりそうなので何か適当なクッションが必要かもね。



次は何か緑も探して加えたいかもね。
緑の葉っぱは代官山の輸入雑貨屋で380円で買ったガラスコーティングされた小物入れ
トレイです。でも灰皿には使えそうもないかなぁ~?



部屋の中では軽めのウェス・モンゴメリーのギターで「A DAY IN THE LIFE」(1967年)
ってところです。キーボードはハービー・ハンコック、ベースはロン・カーターなりと…なるほどね。
  

Posted by 放課後倶楽部 at 15:03Comments(0)音楽

2008年04月18日

朝から雨だからって「雨を見たかい」はないよね?(笑)




不眠症なのか数時間も寝ると目が覚めてしまう僕です(苦笑)。
昨夜からコッチも雨です。
未だに老けないハスキーボイスの色男・ロッド・スチュワートの2006年のカヴァー・
アルバム「グレイト・ロック・クラシックス」の1曲目はカントリー・ロックなんて言われ
たCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)の1972年のヒット曲「雨をみた
かい」です。
原題が「Have You Ever Seen The Rain」ですから、直訳すれば「君は雨を見たこと
があるのかい?」ってところでしょうから、邦題もそのまんまですよね。
好きな曲なのでオリジナルのCCRでは中学生時代からよく聴きました。
最近聞いた話では、この曲もベトナム反戦ソングに分類されるそうです。
えっ!?

つまり、歌詞の「晴れた日に降る雨」の意味は、ベトナムの大地に雨のように降り注
ぐ爆弾の雨という比喩になるみたいです。
なるほどねぇ~。知らなかった。考えもしなかったよ。
そうなってくると、ジェームス・テイラーの「ファイヤー・アンド・レイン」も、「火と雨の世
代」的な“ある時代性”を象徴していたはずだから再度チェックしてみないといかんよね。
まいったまいった(苦笑)。

そんなわけで、雨を眺めながら爆弾の雨なんてことをつらつらと朝から考えてしまいま
した。
珍しく真面目っぽいフリの僕!(笑)

僕たちは戦争を知らない世代ですが、両親やじいちゃんばあちゃんの世代は浜松大空
襲や戦争を経験された世代です。
毎年夏の敗戦記念日(終戦記念日とも表現するらしいけどね)頃になると、広島や長崎
の悲劇や東京大空襲(これは先日テレビでもやっていたっけ…)なんかの特番なども組
まれ全国放映されるので比較的には痛ましい歴史として良く知られています。
ところが、コッチに住んでいたりすると、6月の「浜松大空襲」の時期になっても、そんな
大きな扱いを報道でされた記憶がありませんし、僕なんかもあまり深く知ろうとしません
でした。
反省反省。

ところが、ちょっと調べてみたら浜松って戦時中は全国的にみても相当に深刻な空襲被
害を受けていた土地だったんですね。
つまり、僕たちの親や祖父母の世代は、かなり大きな苦しみや恐怖を体験されていたっ
てわけです。
戦場となった沖縄や原爆を投下された広島や長崎を除けば、B-29による無差別爆撃
による死者の数では、浜松は東京、大阪、名古屋、神戸、横浜といった大都市に次ぐん
だそうです。
知らなかったとはいえ小池君ビックリ!かなり情けない元浜松市民です。反省反省。

戦時中のことで正確な数字ではないとしても、浜松は艦砲射撃も含めて27回の空襲を経
験し、全半焼や全半壊した家は3万戸、焼け出された人は12万人、罹災率の92パーセン
トという数字は浜松の殆どが焦土と化したとしか思えない高い数字です。
空襲での死亡者数は約3570(約3200名という数字もありましたが…)名です。
米軍の記録では浜松に投下した爆弾は3076トンにもなるそうです。
戦争という行為が、浜松ひとつとっても、これだけの被害があるんだから、戦後生まれの、
のほほんとした僕だけど忘れてはいけない気がしました。

親の世代に話を聞くと「空襲も怖かったけれど、艦砲射撃も怖かった」ということがあります。
何も知らない僕が想像するに、遠州灘の沖合いまで米軍の軍艦がやってきて、もしかする
と浜から見える水平線にズラリと軍艦が並んで大砲の弾をドカンドカンと容赦なく浜松駅や
工機部あたり目がけて撃ち込んできたってことなんでしょうか?
僕たちが高校時代は校舎から遠州灘の水平線をゆっくり進む貨物船やタンカーを眺めなが
ら居眠りしていたあの海に灰色の戦艦かなんかがやってきたってわけですから大変なことだ
と思います。
目の前の沖合いの軍艦に抵抗するすべもない無力感も相当なものであったと想像に難くあり
ません。

浜松は陸軍の航空基地もあり、市内には軍需工場もあり、名古屋への爆撃機の侵入ルート
でもあったようですし、東京と大阪を結ぶ鉄道の要衝でもあったのが爆撃の標的にされた理
由だったと考えられます。
不勉強だったので20年も前に「はまホール」の前に「浜松復興記念館」という施設が建てら
れたのも今日まで知りませんでした。反省反省。
昨年、「はままつ映画祭」で「22歳の別れ」を観に目の前まで出向きながら気がつかずにい
ました。
今度の帰省では寄って勉強してきてみたいと思います。

ベトナム戦争時、沖縄の米軍基地に巨大な垂直尾翼のB-52戦略爆撃機が駐機している
写真を見たことがあります。日本もあの戦争に加担しちゃってたり便宜をはかっていたってわ
けです。最近は立派に「参戦国」しちゃってますしね。困ったもんだ…。
聞いたところで、あの小さなインドシナ半島に第二次世界大戦で使用された量を上回るよう
な爆弾が投下されたなんて噂がありました。本当ならとんでもない話だよなぁ~。

話を戻して2年前のロッドのアルバムですが、バッド・フィンガーの「デイ・アフター・デイ」やナ
ザレスの「ラブ・ハーツ」もカヴァーするなど、なかなか通好みの渋い選曲でした。

【浜松復興記念館http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/hukkoukinen/hukkoukinenkan.html
  

Posted by 放課後倶楽部 at 08:01Comments(0)音楽

2008年04月18日

28年目の真実!




60年安保世代や70年安保世代なんて“括り”はありますが、僕たち世代はいってみれば“幻の80年安保世代”にでもなるのでしょうか…。
そもそも80年安保なんてものは日米安保条約が1970年以降は自動更新(自動延長)されるようになってしまって焦点化されなくなってしまっていたのかもしれません。

そんな半ばシラケムードの中、お隣の韓国では民主化闘争が激化していました。
今でこそ韓流ブームも手伝ってか韓国も日本と変わらない自由主義圏の国だと思われていますが、僕たちが学生時代だった頃は韓国は軍事独裁政権下にありました。
後に大統領になる金大中(キム・テジュン)は獄中にあり、その命も風前の灯でした。軍を掌握した全斗煥(チョン・ドファン)により全土は戒厳令下にありました。それが1980年という、ちょっと前のことなのです。
日本も含め国際的に金大中救出運動が巻き起こります。金大中の地盤(政治的本拠地)でもあった全羅南道・光州市民は金大中の釈放と戒厳令撤廃を求めて立ち上がります。これを軍を投入して武力鎮圧したのが後の韓国大統領・全斗煥です。

軍隊なんてものは通常は他国からの侵略から自国民を守るために、その銃は外を向いたものとされていますが、民主化闘争が起これば、その銃を平気で自国民に向ける…つまり、内にも向けかねない存在なのかもしれません。
太平洋戦争末期の沖縄戦での日本軍の行いをみればわかることでしょうし、昨今のチベット問題でもラサで同じことが起きているといえます。

そんな「光州事件」を描いた映画が5月10日から全国ロードショーになります。1987年に軍事独裁政権が崩壊して約20年…やっと光州市民の流血の抵抗運動が正当な民主化闘争として認められたが故の作品化です。

でも僕たちは忘れてはいません。
当時、「光州事件」をテーマにしたことで発売中止になった1枚のレコードのことを…。
それは白竜バンドのファーストアルバム「光州シティ」です。
このレコードはキティ・レコードから自主制作という形で世に出ますが、放送禁止扱いになっていたと思います。一時期、ハガクレ・レコードで白竜バンドの2枚のLPがCDでの復刻リストに挙がっていましたが、未だに実現はしていません。光州事件がこうやって映画化されたことを機会に、そろそろ日本の頭の固いレコ倫の方も「光州シティ」の規制も解いて欲しいものです。
あっ、去年の「やらフェス」で僕が統括責任を担当したライブハウスではSEで白竜の曲はかけちゃいました(笑)。ストレートでノリ良い曲ありますしね。



【映画「光州5.18」公式サイト】http://may18.jp/
【白竜】http://www.hakuryu.com/hp/index.html
【ハガクレ・レコード】
http://www.universal-music.co.jp/hagakure_record/index.html
  

Posted by 放課後倶楽部 at 05:48Comments(0)映画