浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)

浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)



浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)

浜松は先の戦争で日本で一番B29の爆撃回数が多かった都市だと言われています。
日米の記録の違いから27回とも34回ともそれ以上とも言われています。
軍事工場や航空隊や東西の交通の要衝にあったことや、別の工業都市の爆撃コースの帰路にあったことなども原因なんだと思います。
戦略爆撃(無差別爆撃)以外でも、空母艦載機による低空での機銃掃射や、沖合からの艦砲射撃など原爆以外のあらゆる攻撃を受け焦土と化した都市です。
艦砲射撃など沖縄や硫黄島と浜松くらいのものじゃないのかなぁ?(T_T)
焼け出された人は12万人、罹災率の92パーセントという数字は浜松の市街地殆どが焦土と化したとしか思えない高い数字です。
空襲での死亡者数は約3570(約3200名という数字もありましたが…)名です。
米軍の記録では浜松に投下した爆弾は3076トンにもなるそうです。

浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)

そんな痛ましい戦争の記憶を留める建物が経営破綻から2001年に倒産し、その後10年間も中心部に野ざらしのままの松菱百貨店です。
あのビルの鉄骨には空襲の傷跡が残されていると思います。
あのビルは浜松大空襲の悲劇をジッと見守ってきました。
今ではまるで墓標のようにも見えるのは、そのせいかもしれません。

浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)

焼け野原に真っ黒焦げになりながらも、それでも焦土と化した浜松で唯一くらいに残っていた松菱百貨店の姿は市民の復興のシンボルだったような気がします。
子供の頃に見た、そんな1枚の写真に僕はそんな風に感じていました。

原爆の悲劇を後世に伝えるために広島には原爆ドームがあります。
爆心点(グランド・ゼロ)の象徴として…。
大阪万博会場には岡本太郎の「太陽の塔」のみが今もあります。
あれも爆心点に建つ廃墟の芸術みたいなものだと思います。

浜松のグランド・ゼロ「松菱百貨店」解体!!(T_T)

新聞報道によれば、跡地利用も決まらぬまま浜松の松菱百貨店の解体が決定したようです。
戦争の惨禍のひとつを象徴するような建物が消えてしまうことは、空襲の記憶まで消し去ってしまうようで個人的には残念でなりません。
跡地に安易な発想や安っぽい考えで何を再構築するかは知りませんが、そんなに簡単に中心部の活性化が戻ってくるほど甘くはないと思います。

壊したものは元には戻らないのにな…。
爆心地から見えてくる風景もあるのにな…。
松菱か無くなっても戦争や空襲の悲劇は忘れないようにしようっと♪

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【毎日新聞】…2011年4月15日(金)~旧松菱ビル:解体へ 地権者合意、跡地利用白紙のまま--浜松 /静岡

 01年11月に経営破綻し、空きビルのまま放置されてきた浜松市中区の老舗百貨店「松菱」の本館と共同ビルの2棟が解体されることになった。地権者が14日、解体に合意した。解体工事は年内に始まる見通し。買い物客が郊外に流れ、市中心街の「空洞化」の一因とされた旧松菱ビル問題は一定の進展をみたが、計約3070平方メートルの跡地の利用策はなお白紙の状態にある。
 解体が決まったのは跡地区画の北東に位置する本館と、西隣の共同ビルの2棟。14日、3法人と個人2人の地権者が協議し、解体で合意した。
 このうち跡地の約9割を所有する不動産開発会社「アサヒコーポレーション」の高橋良周・企画営業部長の説明によると、解体費用は約6億円の見通し。解体作業は市への手続きから工事の完了まで約9~10カ月かかるという。
 跡地の利用策については区画の一体開発は見送り、地権者がそれぞれ個別に進めることが決まった。これに伴い、アサヒ社などがまとめ、市に認可を得ていた区画一体での再開発事業計画も撤回することになった。
 この跡地をめぐっては松菱の破綻後、百貨店「大丸」が進出をいったん表明したものの、09年1月、出店の断念を発表した。これ以来、再開発事業は進んでいない。市街地の空洞化に危機感を強めた市は09年12月、地権者に早期解体を要請したが、一部の地権者は「解体しても、その後の事業が決まっていない」などの理由で拒否。暗礁に乗り上げていた。【仲田力行】

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【静岡新聞】…2011年4月13日付:浜松旧松菱、解体へ 地権者、14日にも正式確認

 2001年の経営破綻以来、手つかずのまま放置されている浜松市中区の旧百貨店「松菱」ビルの早期解体に向けた地権者間の意見調整が12日までに、最終段階に入った。全地権者が14日に集まり、早期解体を正式に確認するもよう。破綻から10年を迎え、浜松中心街再興の最大の課題だった松菱問題が、大きく動くことになる。
 解体の対象となっているのは、地上8階、地下2階の1936年建設の旧本館と、74年完成の共同ビル。
 2009年、大手百貨店「大丸」の進出が白紙に戻って以降、解体に向けた地権者間の調整は長く暗礁に乗り上げていたが、今月に入って急速に進展した。調整が進めば、施工業者や資機材の調達にめどがつき次第、年内にも解体が始まる見通しで、来年中には終わるとみられる。
 旧松菱ビルは、中心街活性化の足かせとなり、早期解体を望む声が強く寄せられていた。開発業者で最大地権者のアサヒコーポレーション(同区、竹内良社長)に対し、他の地権者は「再開発計画のない解体には同意できない」と開発業者の交代などを訴えていた。

 旧百貨店「松菱」 1937年に創業。45年の浜松大空襲の戦火にも姿をとどめ、老舗百貨店として確固たる地位を築いた。56年に県内初のエスカレーターを設置し、70年に本館増築。92年に新館オープンしたが、バブル崩壊で経営を圧迫。2001年11月に自己破産した。解体する本館(地上8階、地下2階)と共同ビルの敷地面積は計約2850平方メートル。
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【静岡新聞】…2011年4月15日付:浜松の旧松菱ビル解体、正式に合意
 
2001年の経営破綻以降、放置されている浜松市中区の旧百貨店「松菱」ビルの全地権者3者が14日、建物の早期解体で正式に合意し、一体開発を条件としている現在の法定計画の枠組みを取り消すよう、市に求めることを確認した。懸案だった解体実現にこぎ着けた一方、今後の跡地開発は、地権者ごとに個別に進められることになった。
 合意したのは、最大地権者で開発業者のアサヒコーポレーション(同区、竹内良社長)と、「趣味のあがた」(同区、縣良太代表)、「くろかねや」(同区、斎藤賢吾代表)。
 解体の対象としているのは旧本館(完成1936年)と共同ビル(同74年)。6億円前後とみられる解体費用の負担割合など詳細は今後、地権者間で検討していく。年内に解体に着手し、来年中には終了する。
 地権者3者は大規模施設を建設しても、テナント誘致が困難な経済事情から、これまで前提となっていた一体開発を断念。早期に解体し、個別に開発する方向で先週末までにおおむね合意していた。
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しかし、素人目にも展望無き解体だなぁ~。(-“-)
解体後も跡地をどうすると進まないし、バラバラに再開発したって結果は間違いなくダメでしょ?
せめてアートなものか、バイクなものにして欲しいな♪

【浜松復興記念館http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/lifeindex/enjoy/culture_art/hukkoukinen


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この記事へのコメント
鈴木敏文・セブン&アイ・ホールディングス会長――コンビニ、百貨店は二重丸、ヨーカドーは30点―【私の論評】大阪の百貨店は、震災復興後の被災地のモデル、世界の流通業のモデルとなるべきだ!

こんにちは。静岡では、ヤオハンもなくなりましたね。ところで、鈴木敏文7&Iホールディングス会長が、傘下のGMSに辛口の点数をつけ、百貨店は二重丸としています。ここ数年、百貨店の業績が悪く、何か古いものの代表のように思われてきたところがありました。しかし、ここ数年で、百貨店も随分変わってきたようです。特に、大阪では、近々百貨店の売り場面積が新宿のそれを超す程度になります。いよいよ、大阪百貨店戦争のはじまりです。この大阪の動き楽しみです。この動き、単にどこが一番などというより、今後復興する震災地のモデルとなるよう、ひいては、世界のモデルとなるように頑張っていただきたいものです。詳細は、是非私のブログを御覧になってください。
Posted by yutakarlson at 2011年04月16日 10:04
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