この桜印のエンブレムは、陸上自衛隊の架空の特殊部隊を描いた劇画家・小林源文先生の作品「オメガ7」のエンブレムです。
劇画の表紙に描かれたベレー帽の銀色っぽいバージョンだけど、光線の差し込む具合でキラッと光って目立つので、陸自新型迷彩の左腕には茶系のヤツを縫いつけていたんだろうな。
確か、狙撃されること確実な指揮官用の赤バージョンもあったような気もするなぁ~。
当時、小林源文先生とは一緒に温泉に出かけたりと仲間たちで親しくさせてもらった関係もあって、サバイバルゲームのチーム名に「オメガ」という先生の作品の使用のお許しもいただいておりました。
後に先生ご自身もサバイバルゲームに参加されるようになっちゃったみたいです。
なんの話かって?(笑)
15年程前までは趣味の「サバイバルゲーム」で週末となると静岡県御殿場のフィールドを元気に電動エアガン片手に駆けまわっていた頃の残滓です。
最近は、その遊びの名称さえ「津地商会」さんのHPで国際的に「エアーソフト」と呼ばれていることも初めて知りました(笑)。
御殿場時代は、地元の「デルタフォース」というチーム内の「オメガチーム」に所属していたっけな。首都圏では、なかなか遊ぼうにも場所がない時代に、デルタフォースは、地元の強みで地権者の方と交渉して広い「有料フィールド」を二か所確保していたこともあって、それを頼って倍々ゲーム的に参加者は増大していました。
そんな中で、レギュレーションを含めたルールブックの編集をしていたのが…俺?(笑)
御殿場でのルールブック作成にあたっては、漫画家のなかどくにひこ先生が所属していた「IKKI」というチームの「IKKI法度」と呼ばれた製本化された優れたルールブックや、専門誌(アームズ・マガジン)主催の全国大会のルールやレギュレーションを参考に作成した記憶があります。
基本は“箱出し”のままの「ノーマル無改造」のエアーガンの使用でした。
チームの備品として「弾速測定器」の数も増やして、厳重なパワーチェックにも乗り出していました。
環境対策から地中で分解するでんぷん質の「バイオBB弾」の使用を奨励して、「オメガチーム」は卒撰してバイオ弾を使用していました。
規模の拡大の一途にあった御殿場フィールドから全国統一ルール的なものを自分なりには模索していたんだと思います。
定例ゲームでも参加者が百人近くなったり、大会となるとテレビや雑誌まで取材に来るくらいの数百人の規模になっていましたしね。
ブームで人口が増えれば、それだけマナーの質は低下するのは毎度の現象でしたからね。
オメガチームには僕よりすごく若いのに切れ者で人格者のK林君(当時は大学生)という傑出したリーダーさんがいて、僕も彼の「サバイバルゲーム界もなんとかしないとね」みたいな考え方に賛同して加わっていた次第です。
彼がリーダーですから、ゲーム中の無線によるコードネームは彼の「オメガ〇(オメガゼロ)」を筆頭に数字が続いていて、私なんかは「オメガ48」なんて随分と後ろの方のコードネームでした(笑)。
数字は自分の好きなものを選んでいたので、途中の欠番もありましたし、ゲーム中に「すぐに撃たれて死んじゃう」を得意技にしていた僕は、戦力的にチーム貢献度は皆無!(笑)
サバイバルゲーム歴は当時で約10年と、かなり長かった部類のはずなのに、ゲームセンスはゼロ!(笑)
そんなわけで、チームでは「広報」としての後方勤務というか、他団体との連絡等の渉外役みたいなことで、「情報部のコイケん少佐」と年寄り扱いされてました(笑)。
実際、オメガチーム内では最高齢だったしね(笑)。
今も、御殿場の有料フィールドやデルタフォースでお世話になった皆さんも元気で遊んでおられるのかなぁ?
「脱走兵の小池」は今は、こんなところで遊んでいます!(既に発見されてるか?)
私のような敵前逃亡者がいても、岡山の津地さんのようにエアーソフト界を取り巻く過酷な状況の中で、今も頑張って闘い続けている人がいるのは救いですよね。
世間からは「戦争ごっこ」と揶揄されちゃう遊びですが、近所の原っぱや神社の境内で、銀球鉄砲を手に遊んでいた子供の頃に戻れる感覚なんだけどな。
【「津地商会」HP(岡山県)】
http://tuti-shoukai.or.tv/
【劇画家「小林源文」公式HP】
http://www.genbun.net/
【漫画家「なかどくにひこ」さんのHP】
http://www.nakado.net/
【「渓流詩人のカフェテラス」HP】
http://kelu-cafe.com/
【「メローズ」メンバー・ケンタさんのHP「ポリゴン・モデル」(広島)】
http://www2.cc22.ne.jp/~harada/