『まつろわぬ民』再々演を前に原点(原典)購読!
時代状況に勇敢に“爪を立て続ける作家”木村友祐さんの小説『イサの氾濫』が掲載された2011年12月号の文芸誌『すばる』(集英社)と、それに一部手が加えられて2016年に単行本として出版された『イサの氾濫』(未來社)です。
余談ですが、同作は2011年度の「三島由紀夫賞」と2016年の講談社「野間文芸新人賞」の最終候補作でもあります。
≪第二の敗戦≫とまで形容された「3.11」の未曾有の大震災と原発事故(断るまでもなく現在進行形の事象です)の衝撃を受けた表現者としての小説家たちによる「震災文学」としては震災年に世に放たれた作品としてはかなり早かったような気がします。小説家に限らず、世の表現者の多くがショックから整理がつかない段階での発表だったにも係わらず木村友祐さんは「作品がぶち壊れてもいいから震災を描く」の決意で書き上げたそうです。
この作品の掲載号を図書館で手にしたのが現在無期限活動休止中の「上々颱風(シャンシャンタイフーン)」のボーカルの白崎映美さんでした。血が逆流するくらいに猛烈に感動した彼女が結成したバンドが現在の「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」(当初は「白崎映美&とうほぐまづりオールスターズ」名)で、2014年夏に1stアルバム『まづろわぬ民』をリリースしています。
そして同年秋には白崎さんを主演女優に迎えて演劇集団・風煉ダンスが圧倒的スケールで音楽劇「まつろわぬ民」の初演に討ってでています。
木村友祐さんの血を吐くような想いが全編濁音と共にほとばしる1本の小説から、歌が生まれ、芝居が生まれたのですから僕みたいな1“上々”ファンとしては只々唖然として、この猛烈な旋風を注視するしかありませんでした。
正に「風煉ダンス」の名前の由来の通りに彼ら彼女らが巻き起こす渦を巻く巨大な熱量の“風の蹈鞴(たたら)”に1観客としてグルグルと巻き込まれていくのでした。
このとんでもなく面白い現象の全ての発火点は八戸出身の小説家木村友祐さんのあの小説に尽きるというわけで、忘備録として『イサの氾濫』出版時の書評を読み直しています。
文学に出来ること、文学だから出来たこと、文学だから出来ることってまだまだ大きいし、こんな世の中だからこそ文学ってますます必要になると思います。
そんな茨の道を往く「イサの末裔」そのものの木村友祐先生に1票です。
この作品は翻訳されて海外にも飛び火するって話も何処かで耳にしたような気がします。実際、木村さんはこの作品絡みで今年パリの大学に招かれて「3.11後文学」のシンポジウムで講演されていたと思うしね。
ってことは表紙デザインの巨匠漫画家ますむらひろし先生のイサ猫も海を渡ったんだよね♪
≪出典≫朝日新聞 2016年4月3日(日)付 斎藤美奈子(文芸評論家)
イサの氾濫 [著]木村友祐
■東北人の重い口から叫びが届く
この小説(の原型)が文芸誌に載った2011年11月から、本になるのを私は待っていたのだよ。そうだよ。もう4年以上も。
そりゃあ、震災や原発事故を取材した作品はその後たくさん書かれたし、木村友祐も『聖地Cs』という佳編を出してはいる。でも震災直後の割り切れない感情を『イサの氾濫(はんらん)』ほど刺激する作品はなかった。
物語は震災後、40歳にして会社を辞めた将司が故郷の八戸(青森県)に帰るところからはじまる。
帰省の目的はイサこと叔父の勇雄について調べることだった。イサは傷害罪の前科をもつ途方もない乱暴者で、一族は迷惑をかけられっぱなしだった。
だが、イサをよく知る老人はいうのである。「今の東北には、あいつみてぇなやづが必要だ」と。「こったらに震災ど原発(げんばづ)で痛(いだ)めつけられでよ。(略)そったら被害こうむって、まっと(もっと)苦しさを訴えだり、なぁしておらんどがこったら思いすんだって暴れでもいいのさ(に)、東北人づのぁ(というのは)、すぐにそれがでぎねぇのよ」
「東北人は、無言の民せ」と彼はいう。蝦夷征伐で負げで、ヤマトの植民地さなって、米、ムリクリつぐるごどになって、はじめで東北全域が手ぇ結んで戦った戊辰戦争でも負げで、つまり西さ負げつづげで。「ハァ、その重い口(くぢ)ば開いでもいいんでねぇが。叫(さが)んでもいいんでねぇが」
あれから5年たって、状況は変わっただろうか。震災だけではない。東京の生活に挫折し、故郷にも居場所がない将司は格差社会の犠牲者とも重なる。蝦夷(えみし)の血を受け継いだかのようなイサ。ふと将司は考える。おらが、イサだっ!
小説は東北じゅうの「イサ」たちが結集して永田町になだれ込み、国会議事堂に矢を放つイメージで閉じられる。私たちに必要なのもイサの精神ではないか。何が東京オリンピックだ。何が「がんばれニッポン」だ。冗談こぐでねぇ。んだべ、イサのじちゃん。
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きむら・ゆうすけ 70年生まれ。作家。『海猫ツリーハウス』ですばる文学賞。「イサの氾濫」で三島賞候補。
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≪出典≫時事通信 2016年4月12日or15日付 [レビュアー]岡和田晃
木村友祐「イサの氾濫」書評「忘却拒否する魂の叫び」
「がんばれニッポンっ!」という空白を埋める
https://www.bookbang.jp/review/article/515309
「がんばれニッポンっ!」
……もう四年半も前のことになるのか。「すばる」二〇一一年十二月号に「イサの氾濫」が一括掲載されたとき、その末尾は、この「がんばれニッポンっ!」という空疎な掛け声で、いささか唐突に締められていた。
流れはこうである。東京から故郷・八戸へ“都落ち”した将司。地元で過ごした歳月よりも東京で暮らした年月のほうが長くなる将司は、震災の片付けのために帰省することもせず、久方ぶりに顔を合わせた父親からは、なんと「東京もん」呼ばわりされてしまう。
そんな彼がそもそも地元に惹き寄せられたのは、初恋の相手である小夜子にクラス会への参加を促すメールをもらい、「昔抱いた憧れの面影」を感じたから。将司は四十歳にもなりながら、「東京にいても履歴書を送っては不採用の通知を待つ以外、ほかにやることがなかった」と述懐するほど、ささやかな承認にも飢えている男。なにせ小夜子が「すでに中学生の子どもがひとりいる人妻」だと知りつつ淡い期待を抱くのだから、だいぶヤキが回っている。
案の定、小夜子が将司に近づいたのは、怪しげな「銀河の破魔水」を売りつけるためだった。「科学者もまだ発見してない、宇宙の命の源(みなもど)がら届いだ粒子だげが、ギュッと閉じこめであるの。密教秘伝の技で」。哀しいほどにコテコテのマルチ商法。だが、このような救いがない台詞をも濁音を洗わず南部弁のままで書いてしまうところに、木村友祐の真骨頂がある。あからさまな「人の悩みにつけこんだ商売」にすら、頼らざるをえない「貧しき人々」(ドストエフスキー)。知覚をフルに駆動させ、その実態を細やかに描くことで、人間を縛り付ける同調圧力がいったいどこから来るのか、――“フリーター文学”や“青春小説”という枠組みを超えて――加害の起源を見定める歴史的な視座を得ようという感応力の凄みがあるのだ。
間違いなく、木村友祐は閉塞する現実に小説で風穴を開けようとしている。「イサの氾濫」のクライマックスが、何よりの証左だろう。私をはじめ、多くの読者が衝撃を受けた場面だ。小夜子が「人の悩みにつけこんだ商売」に身を任せるのを否定した将司は、他者からの承認に頼らず、「自分の前にいつしか口をあけていた巨大な穴」を凝視するのを余儀なくされる。この真空から、「イサ」という叔父の姿に仮託された「蝦夷(えみし)」のヴィジョンが立ち上がる……というのが、「すばる」掲載時の展開だ。
古代と現代をつなぐ蝦夷たちの姿はてんでバラバラ。鳥の羽根やアイヌの小刀(マキリ)を身につけた者もいれば、果ては量販店のヒートテックやらホームレスめいたブルーシートやら、好き勝手な出で立ちで、国会議事堂やら首相官邸やら中央省庁やらを襲撃するのだ。すわ、魔術的リアリズムかという過激で痛快なヴィジョンだが、やがて幻想は収束する。現実に引き戻された負け犬・将司の耳には、クラス会を締める「がんばれニッポンっ!」という文句が轟く。ここには何か巨(おお)きな虚無を抱えたような、アイロニカルな響きがあった。
ところが、震災から五年の節目に単行本化された『イサの氾濫』(奥付は二〇一六年三月十一日)において、この結末は大きく書き換えられていた。初稿にも増して連呼される、「がんばれニッポン!」、「がんばろう東北!」という空虚なお題目。けれども、かつてのように、将司は沈黙したままで終わらない。重圧を吹き飛ばしてイサと一体化し、「おらがイサだど思うやづは、悔しいやづは、みなかだれ((加われ))っ!」と号令をかけるのだ。
――なんでおらは、こやって東北(とうほぐ)の肩(かだ)、もってんだべ。よそ者だのさ((なのに))。
そう自嘲する傍らでは、原発を推進していた大手電力会社のビルが倒壊していく。攻撃は終わらない。改稿版では、幻視した光景がシニカルな現実に吸収合併されてしまわないのだ。現実を塗り替える強度が最後まで維持され、だからこそ「叫(さが)べ。叫べ」というメッセージに芯が生まれる。
四月十六日に開催された刊行記念イベント(木村友祐×温又柔「ニホンゴを揺さぶれ!~わたしたちの大切な〈訛り〉について~」、於:下北沢本屋B&B)で、どうして結末部を変更したのか、率直な疑問をぶつけてみた。
「(初稿は)宙ぶらりんな空白を作って終わるということで、気持ちを載せて読んできた人にとっては、足払いをかけられたような感じかなと思います。当時、つまり震災の年に『イサの氾濫』を書いたときには、小説が状況に対する反射的なものになっていないかという恐怖とも背中合わせだったので、空白を作る、突き放すということが、文学として成立させるぎりぎりのやり方だったのだろうと思います」
静かに、はっきりと木村は答えた。書いたあとにずっと、心残りがあったのだと木村は言う。実際、「がんばれニッポンっ!」の裏にあった空白、震災当時は小さな違和感だったものは、今やナショナリズムや排外主義で埋め尽くされてしまうほどに、状況は悪化の一途をたどっている。被災地の内と外の関係性はどうしようもなく固定化してしまった。だったら蝦夷も、叫ぶしかない。叫んでいい。声なき従属民(サバルタン)のままではいられない。
カタストロフを経て固定化された、時間と空間の差異。併載された「埋(うず)み火」を読めば、それをいっそう明確に認識できるだろう。ほぼ全編が南部弁で記された特異な「埋み火」は、故郷・八戸の中でも北にある、浜辺の集落の雰囲気が濃厚に反映された作品だという。
昔(むがし)の友だぢぁ、今の友だぢ、づぅわげじゃない……。
挿入されたこの一言は、魯迅の「故郷」(一九二一)を彷彿させるが、東京で成功した政光とホームレスめいたタキオという、作中での階級的断絶を意味するだけではない。語りと記憶の断絶を通して、普段は覆い隠されている「中央」と「辺境」の支配関係を炙り出すのだ。注意すべきは、「イサの氾濫」が“いま、ここ”に直接接続されるものだとすれば、「埋み火」は神話的な祖型が(文字通りに)埋め込まれている、という意味で対照をなしていること。
河島英昭は『叙事詩の精神 パヴェーゼとダンテ』(一九九〇)で、反ファシズムの活動で逮捕され流刑地で書いたパヴェーゼの詩編『働き疲れて』(一九三六)が、改稿で私小説ならぬ《私詩》から祖型を深めた《神話詩》となり、その延長で後に書かれた小説は詩や短編では充分に盛り込めない主題と構造を獲得していったと指摘している。このような動きと《神話詩》の緊張感は、「埋み火」も分有するものだろう。とすれば『故郷』(一九四一)や『月とかがり火』(一九五〇)のような風土性(クリマ)を基軸として全体主義に対峙する「ネオレアリズモ」の文学として、木村友祐の小説を読んでいくことも可能かもしれない。
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いつかは屍になる者どもよ
風に舞う死者の声を聞け
その胸に小さき炎を燃やし
立ち上がれ言葉
ひるむな魂よ
おまえの援軍はここにいる
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▼まつろわぬ民2018 特設サイト
https://alafura6.wixsite.com/furendance
演劇集団 風煉ダンス
東京・酒田・八戸 三都市連続公演
『まつろわぬ民2018』
◆11月15日19:00、16日14:00
三鷹市公会堂・光のホール
◆12月1日(土)13:30
酒田市民会館・希望ホール
◆12月7日(金)14:00/19:00、8日(土)14:00
八戸市公会堂文化ホール
まつろわぬ民とは ”あらがい迎合しない者”
舞台は怪しげな老婆が住む一軒のゴミ屋敷。役所によるゴミの強制撤去が行われようとしたその時、ゴミと思ったものはいつしか魂の宿った付喪神! 長い眠りは解かれ、押し込めた記憶が現代に馳せて問いかける。
この作品は、忘れ去られる者、虐げられながらも闘い続けている者に思いを寄せ、古代の東北と現代を大胆に往還する人力スペクタクル音楽劇。「上々颱風」「東北6県ろ〜るショー!!」の歌姫・白崎映美を主演に迎え、2017ツアーでは東京、いわき、山形で3千人を動員した。2018は、白崎の生まれ故郷の酒田、そして「まつろわぬ民」の原点である八戸にて、新キャスト新演出で再び壮大な舞台を立ち上げる。
作:林周一 演出:林周一 笠原真志
音楽・演奏 辰巳小五郎 関根真理 ファン・テイル
出演:白崎映美 伊藤ヨタロウ
反町鬼郎 リアルマッスル泉 吉田佳世 吉成淳一
御所園幸枝 笹木潤子 堀井政宏 山内一生 飯塚勝之
柿澤あゆみ 塚田次実 内田晴子 外波山流太
サモ★ハン 木村勝一(ごめ企画) 仲坪由紀子
服部ひろとし 奈賀毬子(肯定座)岸野健太(てがみ座)柾谷伸夫(ごめ企画・八戸公演のみ出演)
林周一 笠原真志
チケット:全席自由/入場は当日受付順
一般(前売・当日共) 4,500円
ペア割 8,000円(2名様)
U25 2,500円
中高生 1,000円
東京公演・前売り開始:9月1日10:00
◆Quartet Online(カルテット・オンライン)
https://www.quartet-online.net/ticket/tokyo-maturowanu2018
▼演劇集団 風煉ダンス
https://www.facebook.com/furendance/
http://www.furen-dance.info/about.html
▼風煉ダンスの軌跡 ( 1990年〜2015年)
https://www.youtube.com/watch?time_continue=33&v=aTh0iPFoWr0
▼特別企画 テント芝居・野外劇の現在形
【劇評】『まつろわぬ民』風煉ダンス2017
東北百鬼夜行絵巻を 大江戸先住民が観る ~
平井玄 (批評家)
http://www.geocities.jp/azabubu/artissue/a11/011sp_hirai.html
▼白崎映美 新旧インフォメーションサイト
https://emishirasakinew.amebaownd.com/
http://emishirasaki.com/
https://www.facebook.com/emishirasaki
▼白崎映美&東北6県ろ~るショー!!
https://www.facebook.com/tohogu6/
▼フォトエッセイ『鬼うたひ』白崎映美著 亜紀書房
http://www.akishobo.com/book/detail.html?id=756
▼小説『イサの氾濫』木村友祐著/未來社
http://www.miraisha.co.jp/np/isbn/9784624601195
▼木村友祐
https://www.facebook.com/yusuke.kimura.794
▼たちかわ創造舎
https://tachikawa-sozosha.jp/share-office-member/furen-dance
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▼『まつろわぬ民』2017特設サイト
https://furendance.wixsite.com/matsurowanu2017
▼風煉ダンス公演「まつろわぬ民2017」 予告編
https://www.youtube.com/watch?v=ib6Njrg-UvQ
▼『えんぶ』no.6(2017年8月号)
【特集】演劇集団 風煉ダンス公演『まつろわぬ民 2017』
http://enbu.shop21.makeshop.jp/shopdetail/000000007746/ct2331/page1/order/
▼風煉ダンスが問題作『まつろわぬ民』2017を再演、白崎映美、伊藤ヨタロウら出演で東京&東北巡演
https://spice.eplus.jp/articles/125788