踏まえて歌おうと思いました…
大阪万博会場の「太陽の塔」もクッキリの、このコンピーレションアルバムは「1970年のこんにちは~追憶のEXPO’70」(2005年)です。
「涙をこえて」のシング・アウトの「コカコーラの歌」や、「ヤング101」OGの小林啓子さんの「恋人中心世界」なんてレアな曲が収録されていたので思わず手が出てしまったのかなぁ?(笑)
このアルバムに収録されているわけではないのですが、ジローズの曲として有名な北山修さん作詞の「戦争を知らない子供たち」は、1970年の万博のために作られた曲と聞いています。
この曲は万国博ホールでは日本中のフォークシンガーを掻き集め「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ」名でライヴ録音されたのが最初なのですが、ジローズのヒット曲として世には知られています。
(余談ですが、第1次ジローズには後に「ヤング101」で活躍される塩見大治郎さんが加わっていました)
話を戻して、万博会場ライヴの「戦争を知らない子供たち」の音源を改めて聴き直してみました。司会は北山修さんで、彼のMCでこんなことが熱く語られていました。
「それで、『戦争を知らない子供たち』っていうことは、僕ら、あの、おかげさまで、『戦争を知らない子供たち』という風にして自分たちを呼ぶことができます。でも、完全に『戦争を知らない』ってゆう風には言えない面もあります。よその国では『戦争を知ってる子供たち』もたくさんいます。願わくば、百年後、二百年後、僕たちの子供たちが、またその子供たちが、『戦争を知らない子供たち』だという風に、このタイトル、同じタイトルの下で、世界中のみんなが同じタイトルで同じような音楽祭を開けたら、すごい幸せだと思います。とってもいいことだと思います。僕ら、そ~ゆうことを願って、最後に、この曲を、もう一度歌ってお別れしたいと思います。それじゃ行こう!」
以前にもご紹介させていただきましたが、最近(2007年)になって、きたやま・おさむさん自身が、同曲のことを「しかし、自衛隊が海外派遣された時に、この歌のナイーブな願いのようなものは終わったなと思った」と語っていました。
1970年の淡い希望と願いを込めたMCを思うにつけ、ちょっとシンミリする僕でした。
だからといって、北山さんがヒューマン・ズー名義で自主製作っぽい形で世に問うた「戦争を知らない子供たち’83」は、あまりにテーマも重く、これを人前で僕たちが歌うには覚悟がいる曲なのではありますが…。
で、突然に軽くなるのですが、実家の勉強部屋で大阪万博に感化された小池少年が小学生6年時の図画工作の時間に製作したと思われる「状差し(葉書立て)」を発見しました(笑)。工作室の電動ノコで歯を折りながらも目玉の部分をくり抜いた記憶があります。
これは間違いなく「太陽の党」です。
残念ながら芸術的に爆発はしていませんが、太陽の塔は万歳しているようです(笑)。
写真は家族で出かけた万博会場の太陽の党の広場です。
母や姉や水筒を下げた可愛らしい小池少年がいます。
撮影はカメラが好きだった父親です。
カメラ好きも父親の影響なのかもしれません。
【戦争を知らない子供たち’83】
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=sensouwoshiranaikodomotachi83&type=mp3
【「大阪万国博覧会」関連サイト】
http://www.expo70.jp/expo70.html
【小林啓子】
http://www.kobayashikeiko.com/index.html
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