あれから7年…

放課後倶楽部

2008年10月11日 21:41




米帝(アメリカ帝国主義の意)のアフガンへの軍事介入から先週で丸7年になったらしい。
米帝の空爆開始から8年目に突入したってわけだ。
テロ勢力の撲滅どころか、米帝のターゲットにされたタリバーンは国内での勢力を回復しつつあると最近では報道されている。
想像して欲しい。
もしも、アナタが親族の結婚式で村の教会に一族郎党で笑顔で集まっていて、そこをアメリカの戦闘爆撃機や武装ヘリに襲われることを…そして奇跡的にアナタは助かったとしても、気がつくと大切な家族や友人や親戚…もちろん、子供から老人までが犠牲者になっていたとしたら…。
生き残ったアナタは悲しみにくれると同時に、復讐を誓うのではないでしょうか?
もしもアナタが親で、アフガンの地で慎ましやかな暮らしを営んでいた我が子や伴侶を突然の誤爆で失ったとしたらどうだろうか?
もしもアナタが子供で、容赦ない爆撃で罪のない祖父母や両親や兄弟を失ったとしたら、7年後のアナタは復讐の戦士に志願していないだろうか?
怨嗟が新たなテロリストを生むと政治家を気取る輩は最初から結末を想像できないくらいに鈍いんでしょうか?
「誤爆」があれば、怒りと悲しみが、新たな反政府武装組織のメンバーを生むという“負の連鎖”を予想できないくらいに政治家って連中の感性は磨滅していたり想像力に欠けているのでしょうか?(多分そうだろうな…)
政治家を目指す時点で、その感性や品性を疑わざるを得ないもんな(笑)。

この7年間でアフガンの民間犠牲者の数はどれくらいなのだろう?
最初の1年間で民間人の犠牲者数は3125~3620人と報道された。
今も多い月は一ケ月で300人の民間人が犠牲となっているという報道もある。
その中には明らかな「誤爆」の犠牲者も含まれているはずだ。
「間違えちゃいました、ごめんなさい」で済まされる問題なのだろうか?
米帝が犠牲者の遺族に経済的な保障をしているのだろうか?
大統領が心からのお詫び行脚でもしているというのだろうか?
人を殺せば「殺人」事件で裁かれるのは法治国家である以上は当然としても、戦争で沢山の人を殺せば下手すりゃ「英雄」扱いってのも妙な話だ。
どうやら「戦争」では「殺人」も国際法上で正当化されているってことなのだろうか?
殺人に「罪を問われない殺人」があるってことも、なんか納得できない気がするんだよな。

「正義」とか「大義」とか「国際貢献」とか、それらしい言葉を散りばめ迫ってくる連中のきな臭さってあるよね。
戦争は特殊なものではなく、政治の延長線上の一形態である以上、僕たちの日常の延長線上に戦争はつながっているのかもしれない。
自衛隊のインド洋上での給油活動は、アフガンでの空爆の助けになっていないのだろうか?日本は本当に戦争に無関係といえるのだろうか?
歴史の図書館は昔から「正義の戦争」の名の下の犠牲者で溢れているというのに…。

久々に長淵剛のアフガンへの鎮魂歌「静かなるアフガン」(2002年)を聴きながら考えた…。
「戦争に正義もクソもありゃしねぇ!」って、それは正しい考えだよな(笑)。
人間なんだから話し合いで解決しようよっ!

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