僕が舌をまいたアジテーション!?o(^o^)o

放課後倶楽部

2008年10月16日 15:55




一昨年、商工会議所さんが市内の音楽団体宛や音楽愛好家に依頼したアンケートに応じたことから接触を得たのが「やらフェス」の前身組織でした。
まだ「大規模市民音楽祭」なんて仮称の設立準備会だったと思います。
そこで配布された資料が、現「やらフェス」実行委員長・鈴木建也さんが老舗タウン誌「浜松百撰」2006年5月号に寄せた「ほんとうに音楽の街ができるのか。」という見開き2ページのエッセイでした。

読んで目から鱗とは、正にこのような文章のことだと思いました。
文句なく秀作でした。思わず唸りましたよね。上手いし鋭いしね。
活字中毒みたいな僕でも久しぶりに新鮮な感動や興奮をおぼえたテキストでした。
冷静な情勢分析といい、批判を恐れぬ精神といい、展望を含めた行動提起といい、「こんなクールで熱いことを書ける奴がいるんだ。知らなかったなぁ~!浜松も捨てたもんじゃないね。それにしても、相当な切れ者じゃないと、こんな素晴らしい文章なんか書けないよな。地元のエフエムラジオの人なんだ?道理で頭いいはずだよね(^-^)v」と素直に感動しました。
このアジっぽい文章に則った音楽団体やイベントが出来るなら「それが本当なら面白そうじゃん♪」と好奇心も湧いてきて、僕は「放課後倶楽部♪」の部員C子と一緒に実行委員会への参加を決めました。

「何か新しいことが始まるんじゃないだろうか?」って純粋な期待感が僕の中では満ち満ちていました。
会議に参加されている方々の顔触れも豪華なもので、浜松のメディア関係者や市長直轄と思われるシティ・プロモーション課の方など、僕達とは平素ご縁の持てないような立派な肩書きばかりの皆さんばかりでした。
その状況を興奮気味にC子が「会議に出てビックラしただよ。“オール浜松”みたいなスゴイ衆ばかりで、純粋に普通の人ってワシらくらいしかいないだにっ!恥ずかしいだよ」と電話してきたくらいです(笑)。
乱暴に表現するなら、「やらフェス」の起源は鈴木建也さんの、このエッセイに商工会議所の「やらまいか浜松」地域ブランド関係者の方々が敏感に反応して具現化に積極的に動き出したという側面もあったと思います。
それが、今年も数多くの市民の皆さんが楽しまれた第2回「やらフェス」の出発点でした。
「やらフェス」のことはご存知でも、2年前のこのテキストのことはすっかり忘れていたり、読んでいなかったりする方も多いかと思い参考資料としてアップしてみました。
僕にとっては、このテキストが原点でもあり、この記念すべき力作エッセイに「異議なぁ~し!」と賛同したからこそ「やらフェス」結成時の発起人の一人として名前を連ねさせていただいたわけです。
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[出典]浜松百撰(2006年5月号/P116~117)
[タイトル]ほんとうの音楽の街ができるか。
[執筆者]鈴木建也(FMハロー業務推進部長

〉浜松市は平成19年4月に全国16番目の政令指定都市になる。
〉多くの財源と権限を県から引継ぎ、自主独立性の高い大都市の仲間入りを
〉するわけだ。
〉人口は約82万人で全国15位、面積は全国2位、製造品出荷額全国8位、農
〉業産出額全国1位。
〉温暖な気候で東海道の要所のひとつとして地理的にも恵まれ、交通網も発
〉達した全国屈指の大都市である。
〉だからこれからも浜松市の未来は明るい、と言ってしまいたくなるがそうでもない。
〉中心市街地の衰退、工業生産拠点の海外流出、都市間競争の激化など、浜
〉松市の都市としての魅力や存在意義、ブランドが問われ始めている。
〉しかも浜松市は非県庁所在地で、テレビ、新聞社の本社も無く、プロ野球、
〉Jリーグのチームも所有しない全国のネットワークから外れた、知名度の
〉低い1地方都市にすぎない。
〉「顔の見えない大都市」が現在の浜松の姿なのだ。
〉これでは、人、モノ、金、情報も集まらない活力の無い都市になってしまう。
〉早急に浜松市の魅力ある顔づくりが必要とされているのだ。
〉★キャッチフレーズだけじゃあダメ。
〉楽器製造を地場産業とする浜松市は、「楽器の街から音楽の街へ」を合言葉に、
〉大規模な音楽施設の整備や音楽イベントを開催してきた。
〉その象徴がアクトシティ浜松であり浜松国際ピアノコンクールだったりする。
〉では、それによって浜松市は本当の意味で《音楽の街》になったのであろうか。
〉そもそも音楽の街というものには尺度が無い。
〉音楽聴衆取者数、演奏家数、ホール数、コンサート数を競えば東京の方が
〉圧倒的に上だ。
〉「音楽の街・浜松」はあくまでもキャッチフレーズとして存在するだけで、
〉浜松市民はもちろん日本中が「浜松といえば音楽」と実感し、認めているわけ
〉でもない。
〉それは、永年浜松市が「文化不毛の地」と言われ続けて来たことが証明している。
〉全国区で多くの人が知り得る著名な音楽家やアーティストの輩出、大規模音楽
〉イベントの開催、それを支えるライブハウスや楽器店、行政、企業、市民の結集
〉が見られないのだ。
〉年に1度でも全国から浜松に音楽好きが大挙して集まり、街中が音楽で溢れ、
〉全ての浜松市民が音楽の素晴らしさを実感でき、音楽によってこの街を誇りに
〉思えるような、そんな、「音楽の街としての何か」が足りないのだ。
〉★63万人が集まる定禅寺ストリートジャズフェス。
〉仙台市で毎年9月に開催される『定禅寺ストリートジャズフェスティバル』は、
〉昨年第15回目が開催され、街の中心部に80ものステージが組まれ642
〉バンドが出演し、2日間で63万人を集客する世界有数の規模を誇る市民手作
〉りの「音楽のお祭り」だ。
〉音楽ではないがお隣の静岡市で開催される『大道芸ワールドカップin静岡』
〉は14回を数え、期間中200万人超の観客と1000人の市民ボランティアが活躍
〉する県下最大級のイベントに成長した。
〉共に中心街がイベントステージ、プロからアマまでの出演者、観客との距離が
〉近いコミュニケーション、もちろん無料だがカンパや投げ銭で協力、実行委員
〉会形式の市民主導の運営(行政、企業支援)、ポランティアによる市民参加が
〉基本だ。
〉であるならば、浜松市の楽器製造で培った音楽に関わる人材や団体、企業の
〉集積、行政の理解、浜松市民のボランティア精神があれば、きっと市民主導の
〉世界規模の音楽イベントが開催できる。
〉『ハママツ・ワールド・ストリート・ミュージック・フェスティバル』なんてどうだろう。
〉世界、全国から浜松に集まったプロアマ、音楽ジャンルを問わない音楽演奏家
〉が浜松の中心街を音楽で溢れさせ、それを浜松市民がしっかりとサポートする。
〉世界、全国から浜松に集まった音楽好きが、浜松市民といっしょになって音楽
〉の素晴らしさに感動する。
〉夢のような音楽の街を是非築こう!
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どうでしょうか?
かなり辛口の批判の中にも鋭い分析力と熱いパッションを感じさせてくれませんか?
しかも、この段階で「一緒に何か新しい音楽祭を築こうぜ!」的な具体的な行動提起まで提示されていました。
全文を掲載しましたので、ちょっと読んでみてくれると嬉しいな。
書き手の現実行委員長は、なかなかの慧眼の持ち主です。

言葉や文字の持つ力は侮れません。
この一文がきっかけになって、それを商工会議所が拾う(活かす)格好で、浜松の水面下では夜な夜な“大規模市民音楽祭”への胎動が静かに胎動を始めていたわけです。
まだ「やらフェス」という形を見ぬまま、ゴトンと大きな音を立てて何かが確実に始まった瞬間でした。そんな歴史的な瞬間に立ち会えた幸運ってのは僕も感じていますし、それに係れた幸せも含めてです。

このエッセイは憲法でいえば「前文」的な存在かもしれません。
理念的なものや、パトス(情念)やロゴス(理念)的なものを宣言したようなものだと僕は思います。
この構想に賛同して集まった皆の忘れてはならない、これが純粋な初心を集約可能な最良のテキストだと思います。
その意味では、提案としては「やらフェス」ホームページの一角に資料的に置いておいて欲しいなと思うわけです。これから集まってきてくれる全ての人が読むことが出来るようにしておいて損はないと思いますしね。
難しいかったのは、様々な制約の中で、理念に沿った(近い?)形の音楽祭を構築していくかという方法論でした。暗中模索のスタートだったと思います。
物事なんて「これで完璧!完成!」なんてイージーなものではないと思います。
常に、より高次元の姿を求めて模索を続ける終わりのない内省的格闘だと僕は思います。アウフへーベン!!
その意味では常に過渡期の姿であることを意識しておく必要があります。

加算的発想で、何かをくっつけたりしてアレンジを加えてオリジナルな姿を目指すのも「編集学」上では間違ってはいないのかもしれません。

初回の「やらフェス」基幹スタッフであれば、昨年度の僕が事あるごとにメール等で「こんなのあるよ」とか「こんなの思いついたけど…」とか「俺はこう思うんだけど」と情報や意見(意義も含めて)を寄せていたのはご存知のことだと思います。
内部では「また小池さんが何か言ってるよ」的に半ば呆れられながらも、そこそこウケていた気もしています(苦笑)。
鈴木委員長さんも「小池さんもそうだけど、熱いメールを送ってくれる人が何人かいるんだよねぇ~」と笑っていたそうです。えへへっ!情熱がなければやらないよね。
東京という遠隔地からの唯一の参加者ですから、日常的に平日夜(木曜が多かったかな?)の会合に参加することは叶いませんでしたしね。

鈴木建也さんが最初に飲み仲間3人と定禅寺のイベントの録画映像に感動して、このテキストを起こし、準備会の段階でもビデオ上映をして座談会をしたり、今年も一か月程前に21名で仙台へ自腹で視察に出かけたり、過去にも市役所の方も含めて何名かで仙台に視察もあったと聞いていますし、仙台を明らかに意識して、「仙台をいつか越えるんだ!」くらいの意気込みって最初の俺達にあったよね?
皆が「仙台は凄い!」と言うので、仙台のフェスをテレビのニュースや新聞報道くらいでしか知識のない僕は昨夏、東北道を車カッ飛ばして見学に出かけたくらいですしね。

【やらまいかミュージックフェスティバルinはままつ】http://www.yaramaika-mfes.com/

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