幻のバイク雑誌「KAWASAKI MIND」!

幻のバイク雑誌「KAWASAKI MIND」!


ムック本なので今でも時々書店で見かけて僕自身が驚くことがある1冊です。
創刊準備号(零号)にして廃刊という悲しい憂き目を経験した本です。
実は、この創刊に関わっていただけに、僕にはチョッピリほろ苦い記憶があります。

「放課後倶楽部♪」を始める前までは時間的余裕もあったので、自らのバイク集団「MC井戸端会議」や参加していた「MC八咫烏(ヤタガラス)」メンバーの1人としてバイク雑誌にツーリングレポートを投稿しては殆どのバイク雑誌の誌面に登場させてもらっては遊んでいました。そんな常連さんみたいなことをやっていると時々はギャラの発生する原稿依頼なども舞い込んだものです。
あっ、「MC」とは「モーターサイクル」の略です(笑)。

そんな折、硬派のバイク雑誌「ビックバイククルージン」のT編集長(兼社長)から「小池君、手伝って欲しいことがあるから、ちょっと編集部に顔出してよ。紹介したい奴がいるからさぁ~」って電話がありました。
出向いてみると用事は「新雑誌の創刊スタッフに加わってくれないか?」という依頼でした。無論、僕の本職は百も承知の依頼ですから二足の草鞋というかアルバイト感覚ではあります。雑誌の立ち上げに関われる経験なんて、そうそうあることではないので面白そうだなと二つ返事で快諾して、紹介されたのが新雑誌の編集長を任されたフリー編集者のM本さんでした。
ところが僕とM本は古い顔なじみでお互いに「お元気でしたか?15年ぶりですか?懐かしいですね」みたいな話で、居合わせたT社主も「なんだ?君たちは古い知りあいなのか?それは好都合だったな」と満足気でした。
実は、彼が新聞記者時代に僕は彼の取材を何度が受けた経験がありました。
かつては取材する側と取材される側にいた2人が、共通の趣味のバイクを通じて再会しちゃうんだから東京も狭いものです。
幻のバイク雑誌「KAWASAKI MIND」!


準備段階では「西☆風」という雑誌名でした。
結果的には僕はライター兼カメラマンで、担当はモノクロ読者ページの約40ページ。
本業が終わるとバイクで編集室として借りてもらった市ヶ谷のマンションに立ち寄り、そこで徹夜の日々が続きました。
取材のために、琵琶湖、金沢、御殿場、清水、横浜、熊野までカメラ持参でバイクで走ったり、電話取材で全国各地のオーナーズクラブへの取材に明け暮れました。
幻のバイク雑誌「KAWASAKI MIND」!


あまりの長文力作に、どのバイク雑誌でも掲載出来なかったなんて曰くつきの「序・破・急」3部構成の「東北ツーリング紀行」も序章を除き、破章と急章を8ページで一挙公開なんて悪戯もしちゃいました。(序章だけは他のバイク雑誌でそのまま掲載されたり、別のバイク雑誌から序章のリライトの要請もあり1ページに書き直したら1万5千円のギャラで買ってくれたバイク雑誌もありました♪)
幻のバイク雑誌「KAWASAKI MIND」!


かなりマニアックな記事も多く、MC「ケンタウロス」のボスの了解を得て「サマーパーティー2001」の取材をさせてもらったりもしました。
ミーティング記事の頭4本がケンタウロス系列のチームのイベントで固めたってのが、好きな人には泣かせるレアな情報の企画だったと自分でも思います(笑)。
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毎年の熊野詣を欠かさないMC「八咫烏(ヤタガラス)」(初代主宰・故藤木芳清貞源寺住職、2代目主宰・大倉正之助師)の第11回の熊野ツーリングも紹介させていただきました。
まだ藤木住職が健在で、その藤木さんの右横で皮ジャン姿で小生意気な顔をしているのが8年前の小池です(笑)。

【STADIO TAC CREAITIVE】http://www.studio-tac.jp/
【KAWASAKI MIND】
http://www.venus.dti.ne.jp/~kazunari/book_kawasakimind.htm
【MCケンタロウス】http://www.kentauros.com/
【大倉正之助】http://www.hiten-jp.com/


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