携帯のない時代の恋愛…。一緒にいられないことが…。

携帯のない時代の恋愛…。一緒にいられないことが…。

いわば、あの有名な「神田川」って曲の「神田川・前史」とでも呼ぶべき1973年に発表された喜多條忠さんの日記風小説「神田川」(読んだのは1993年の復刻版す!)を読み終えました♪

「かぐや姫」の曲として有名な「神田川」での詩の設定は、後に発表された短編小説「神田川・断章」の方だったわけです。

前作品が日記や創作ノートとしか思えないのは、調べたみると書かれた日付にリアリティーがありすぎなのです(笑)。
日記風「神田川」は、喜多條さんが1967年の夏から1968年の春にかけて書き綴ったのものだとご本人も後書きで触れています、。

例えば、1968年1月19日の記述では「ふとんのなかでうたた寝をしながら佐世保のニュースを十回ほど聞いていた」とあります。
これは佐世保への原子力空母エンタープライズ寄稿阻止闘争のことだと思われます。
「新左翼運動全史」(蔵田計成著:流動出版/1978年刊)によれば、実際、1月17日から23日の出港まで7日間に渡って佐世保現地では「三派系全学連(中核派・社学同・解放派)」と機動隊の間で平瀬橋を巡って衝突があったそうです。

【佐世保エンタープライズ阻止闘争(1968年)】
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=8yve2mvu2Zs

同じ1月19日の記述で「今日は夕方、学館にKが飛んで来て、今外務省へ九十名突入し全員検挙されたと言う」ともありました。
これも、佐世保現地での闘争に呼応して、19日に社学同が外務省に突入して89名が逮捕された事件と合致しています。
まさかとは思うけれど、得意の丸太を抱えて突入とか?

また1月20日の記述には「今から集会に出かける」とありましたが、これは日比谷野音での東京地区反戦主催「エンプラ寄稿抗議総決起集会」に集まった8000名の参加者が行った首相官邸と米大使館へのデモのことでしょう。

2月27日の記述では、大阪に戻っていた筆者がスキーに出かけるGFを駅まで見送りに出かける日ですが、「朝刊を見て、シマッタ!と思った。千葉では三里塚空港反対のための抗議集会がもたれ、機動隊劣勢が伝えられるほどに全学連は戦っていたのだ」とありましたる
これは2月26日に成田市営グランドで三里塚・芝山連合新空港設置反対同盟の呼びかけのもとに開催された「三里塚空港実力粉砕、砂川基地拡張阻止、二・一六現地総決起集会」のことだと思われます。農民の反対同盟1000名、三派全学連600名、反戦青年委員会300名が集まり、集会後に全学連が空港公団分室に向かい機動隊と衝突した事件のことなんだと思われます。

【三里塚空港反対闘争関連映像】
http://www.youtube.com/watch?v=rAxm69FernU
http://www.youtube.com/watch?v=mhj8hK8zoGA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=3CARuBVpP8A&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=PeQ3u189YjA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=k4wCN6_sqio&feature=related
【三里塚「大地の乱」】
http://www.youtube.com/watch?v=bE4Lo8-UbhM&feature=related
【三里塚「抵抗の大地」1~4】
http://www.youtube.com/watch?v=agsn-q_OwK0&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=NVqSAbg4X2k&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=XYCKagqb38g&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=wruWockBP0c&feature=related

携帯のない時代の恋愛…。一緒にいられないことが…。

そんな風に喜多條さんの「神田川」を見ていくと、実際の出来事と日付がシンクロしきっています。
やっぱり生々しい日記的な作品「神田川」なんだと思います。

その後、大阪のGFとは心のすれ違いが増幅していってその関係も壊れたのか、東京で新しい彼女と出会い、新しい彼女の3畳1間のアパートへ転がりこんで同棲生活となり、70年安保闘争も高揚していって、彼女が作るカレーの匂いと台所に立つ彼女の後姿という平和な生活と激化する街頭闘争の狭間で苦しみ…というのが歌となった「神田川」の方の詩の背景のようです。
しかも、喜多條さんはハッキリとは触れていないものの、高校時代からのGFとの破綻と、東京での同棲相手の登場という2人の女性の交際時期には微妙にクロスオーバーする時間もあったようにも見受けられる部分もありました(笑)。
3月22日の日記後半の詩の部分では、2人の女性が混在して登場しているとしか思えない内容があります。

そして、自らの弱さのせいなのか、同棲先からも逃げ出して、神田川沿いの彼女のアパートの部屋の灯りを見つめながら「もう、あの部屋には戻れない…」みたいに涙するのが最近の短編小説「神田川・断章」って流れでしょうか?
実際の喜多條さんは、同棲していた彼女とは違う女性と結婚して家庭を持ったようにも見受けられます。
青春って誰にでも色々と紆余曲折も山あり谷ありの凸凹の連続線はあるものです(笑)。

喜多條さんは、高校時代からのGFに400通の手紙を書き送ったといいます。
東京での学生生活、アルバイト、人形劇サークル、闘争、読書、映画観賞、パチンコ、友との語らい、学門の間で、日記もつけながら、詩の創作活動もしながら、400通の手紙ってのは舌をまく数です(笑)。
それだけ真剣に彼女を愛していたんでしょう。
その痛いくらいの必死さや悩み葛藤は日記の行間からも容易に読み取れます。
個人では電話さえなかなか自由にならなかった時代は、手紙でも書いて自分の気持ちを伝えるしか手段はなかったですよね?
家に1台の電話機は大概家族が集まる食堂あたりに置かれていたから、GFに電話するにしても、GFから電話があってもすぐ近くで家族が聴き耳をたてているから、思うようには喋れなかったしね。
GFの家に電話しても、おっかない親父さんに電話を取り次いでもらなかったり、お母さんに根掘り葉堀り関係を問いただされたりとかね(笑)。
だから、手紙や交換日記に頼ることになっても書き終えて、投函して(手渡して)
、返事を待つ時間のなんと長いことか…。
その間に書いた中身であれこれ悩んだり悔んだりとかの経験ってありますよね?(笑)
携帯もメールもない時代の恋愛ごとって、それはそれで風情や情緒も味わいも今と少し違ったかもね?(笑)

【かぐや姫「神田川」】
http://www.youtube.com/watch?v=pB0cPWR2OYA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=najWahsLqro
【放課後倶楽部:2009年5月22日編】
http://bunkasaikibun.hamazo.tv/e1711820.html

携帯のない時代の恋愛…。一緒にいられないことが…。

最近の調査でわかったことは、「神田川」で歌われる舞台となったアパートは、この明治通りと新目白通りの交差点「高戸橋」から右側に高田馬場駅方向に流れる神田川沿いだったということです。
それでは…どうも…いずれ…あれがナニして…それがナニして…いやいやどうも、いやどうも…で、この歌の舞台となった川沿いに高田馬場までお散歩かな?(笑)
1つの曲にも、色んな背景があると知ると、その曲もまた味わい深くなるよね。


同じカテゴリー(本棚)の記事
冬休み読書
冬休み読書(2023-12-29 13:45)

この記事へのコメント
おはこんばちには。
愛の伝道師つとむです。
喜多條さんの仲間は早大ブント叛旗派ですね。
68年の防衛庁で社学同丸太指揮したのは旧姓花園(現前之園)といって、今は塾の先生してます。
後に69年以降は塩見のおっちゃんとブント赤軍派に。
塩見は誘った時、「これからはこれやで」と龍馬のように指でピストルの形作ったらしい。
花園さんとは新宿ゴールデン街で飲んで昔話してる時「おまえとは二度と飲まん!」と私と大喧嘩になりましたが、夜明け前、最後は涙で抱き合いました。
外務省の際は丸太ではなかったと記憶しています。
ブントだった安田南の後の旦那Mさんが三田から出撃しようとして阻止され、イタリア大使館に浸入(学内の塀を乗り越え脱出)したのは、確か外務省の時だったかと。

早稲田に長く住んだ私は、よく喜多條さんの文と詩の足跡をたどり、神田川のほとりを歩きながら、失われた時間(とき)の残り香に独り思いを馳せました。

「いちご白書をもう一度」などというつまらないモラトリアム感傷詩とは違う「今現在の焦燥」の重みがマコトさんの詞にはある。
過去と今をつなぐ途切れない重く苦い情念が継続している。
だから彼の詩は単なる回顧譚として「昔を唄う」作品ではなく、現在も輝きを失わない叙情的思念として今も私たちの前にあるのだと思います。


愛の伝道師つとむでした。

p.s.
先輩こうせつね、ある時(72〜3年頃)、雑誌の景品に自分のドカヘルを出してたよ(笑)
緑だった。
ベ平連と聞いてたけど、フロントだったのかもね(^.^)
Posted by つとむ at 2009年07月18日 19:55
2TOMちゃんへ♪

君は何者だよ?(笑)

日記風私小説?「神田川」(喜多條忠著)を読むと、春休みで大阪の実家に戻っていたと思われる時期の(1968年)2月17日の日付の箇所に「平和…甘美な平和。僕の空想はもはや反帝学評と書かれたヘルメットや、握りしめると四つの角度が手のなかに鋭く感じられる角材でもなく、どこか遠くのまっ蒼な大海原が望める切り立った岸壁の上にみち子と二人でいる」ってのがあって、俺はてっきり喜多條さんは社青同解放派にいたのかと読みとっていたぞえ。
どこに彼が所属していようが、どうでもいいことなんだと思うしね(笑)。
彼が、当時の学生運動のうねりの奔流の中にいたってことと、そんな彼が書いた作品が「神田川」ってことさえ押さえていればセクトの別は関係ないとは思うだよ。

そういえば、君も早稲田に住んでいたっけね♪
遊びにいったことを思い出したよ♪

「いちご白書を…」って、絶対に学生運動なんて百パーセント否定的としか思えんオヤジがカラオケなんかで歌ってるのを見るのも聴くのも嫌でさ(笑)。
最近、あの歌詩にもモデルが実在したような話を読みました。

しかし相変わらず君の文章は詩的だなぁ~♪
その鋭い性能は間違いなく小説家や詩人向きだと思うな♪

南こうせつって、田舎を抜けだすために大学進学を口実にしただけで、殆ど明治学院大には通ってなかった説あるらしいね(笑)。

最近、一番驚いた話は山下達郎ネタ!
本で読んだだけだけど、ある時、「都立高校の生徒会長と議長は東大安田講堂に全員集合せよ」という誰が発したか不明の呼び出し状が出回ったらしく、その呼びかけに応じたのか「シュガーベイブ」の山下達郎が安田講堂に健気に集合した中にいたらしいのよ(笑)。
案外と山下達郎は、あんな風でも反体制色が強い御仁なのかもね。
かなり前だけど、渋谷の南平台なんて高級住宅街で、夜中に真っ黒なチューリップハットを被った長髪のヒョロっとした男が、大型犬(アフガンハウンドみたいな?)を散歩させていたので、覗きこんだら山下達郎さんだった気がしました(笑)。
Posted by 放課後倶楽部放課後倶楽部 at 2009年07月19日 08:33
私は渓流詩人です。
あい。
仰有る通り、曲者です(笑)
別名、歩くカルト歴史博物館と呼ばれています(^.^)


喜多條さん自身は立松和平や大口弁護士(当時早大総
代、全自委員長)と同じく同世代の青だったのでしょう。
社学同とは「日帝全学連」で蜜月だったから、ま、社
学同は「仲間」ですね。
その後、叛旗は早稲田から革マルに追い出されて、青
学で亡命政権作ってました。
その時の青学の社学同の叛旗の主要メンバーが會泰道
(あいやすみち=今の三遊亭楽太郎)。
叛旗なのにかなりゲバッチョで鳴らした方です。

蔵田氏の著書といえば、ある時、私が前職(法律事務
所)の仕事の裁判資料として、私が所有する彼の著作
を提供しようとしたら、マーカーやら赤線や書き込み
だらけで裁判資料にならないので、新刊を求めようと
したことがありました。
すると「新左翼運動全史」
は廃版。
しかたなく蔵田さんに連絡したら、まだ本人の手元に
何部かあって、それを裁判資料に提供してもらったこ
とがあります。


カラオケ「いちご〜」については、あたいも全面同意
だすなあ。。。
昔のマンガ『バイト君』の中で、絶対行きたくないカ
ラオケ屋、てのがあって、店に入ると、労働歌や革命
歌のカラオケばかり(笑)
「次、ワルシャワ労働歌いきま〜す」
「いよっ!待ってました!副委員長!」
とかで、ゲロゲロ〜となって主人公が店から逃げ出す、
というネタ(^.^)
あれはネタで笑えるけど、カラオケおやじの「いちご〜」あたりは笑えない(^_^;)
それが仕事帰りの銀行員だったりしたら、思わずお上
品にモロトフカクテルのおかわりを直撃で差し上げた
くなります。



山下ネタ、笑える〜。
覗いたんですか?
無礼な人ね。ダメよっ!w
Posted by つとむ@渓流詩人 at 2009年07月20日 16:41
(誤記)
日帝全学連

(正)
反帝全学連


全然意味ちゃうやんか(自爆)
Posted by つとむ@しおしおのパァ at 2009年07月20日 16:50
君は「日帝打倒」や「自国帝国主義打倒」どころか、「日程打倒」や「時刻定刻主義打倒」で有名だったでしょ?(笑)
渋谷で遊びで待ち合わせして寝坊して半日遅刻したって逸話は…君しかいないと思うよ(笑)。

まぁ、渋谷といえば、土曜の夜に外人4~5人相手に1人でバトルしてねノックアウトされて、そのまま月曜の朝まで東急百貨店の下で気絶していた猛者もいたけどね。帰宅して登校準備している妹に「なんで日曜なのに慌てて学校なんか行くんだよ?」と問いただしたら「兄ちゃん、何バカ言ってるの?今日は月曜だよ」と言われて初めて自分の記憶が金曜から途切れていることに気がついたKの事件でしたよね。学内1のシャープな剃刀パンチを誇ったKでさえ、酔った白人と黒人の集団には勝てないものだと驚きましたわ。
Posted by 放課後倶楽部放課後倶楽部 at 2009年07月23日 04:42
Kはタイガースが優勝した時、ハチ公前噴水(当時あった)で
泳いで、それから黒人が絡んできたからゴルァとやったら
5秒でのされた、というあれでつね(笑

あたしが渋谷で半日遅刻?
まったく記憶にありません。。。すまんす(^^;
ま、アフリカタイムっつーことで。
ウィーアーバビロンキッズ!だけど(笑
Posted by つとむ at 2009年07月28日 23:54
いしいひさいちの「バイトくん2~東淀川ひん民共和国」(プレイガイドジャーナル社:1979年)は本棚から発見したけれど、もっと分厚かった「1」の方は紛失しちゃったままです。
Posted by 放課後 at 2009年07月29日 03:43
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

写真一覧をみる

削除
携帯のない時代の恋愛…。一緒にいられないことが…。
    コメント(7)