快刀・源ちゃん先生♪

快刀・源ちゃん先生♪

朝日新聞を購読していて唯一の楽しみみたいなものが月1掲載の作家・高橋源一郎フューチャーの「論壇時評」♪

ネット上にはこんな呟きも発見!

≪今日の朝日新聞の論壇時評は高橋源一郎氏。冒頭に森美術館で開催中の会田誠展に行き、ぶっ飛んだと紹介。今ある現実が嘘臭く見えてくる感覚に引きずり込む力がアートにあると書いている。そして自民党が唱える憲法改正の条文がアート見たいだと揶揄。基本的人権や表現の自由を否定するとはアートの敵だ≫

どうやら毎月の論壇時評を楽しみにしている読者は多いみたいだ♪
俺だって源一郎さんが書いているから、それが読みたくて、かろうじて購読しているようなものだしね。あの担当が源一郎先生から別の人に変わったら毎日新聞か東京新聞に俺なんかは乗り換えるかもしれないしね。

自民党の安部総裁は憲法改正について「まず96条の(衆参両院で3分の2を必要とする)改正規定から変えようと考えている。3分の1をちょっと超える国会議員が反対すれば国民が指一本触れられないのはおかしい」とか言って憲法改正規定の緩和に積極的だしね。憲法を時の権力者の恣意的な運用を避けるために厳しい規定が設けられたのを緩和して国会の2分の1の賛成で変えられるようにしちゃおうっていうんだから怖いよな。



≪出典≫朝日新聞:12月20日/「論壇時評」作家・高橋源一郎氏)

 森美術館で開催中の、現代美術家・会田誠の展覧会に行ってきた。ぶっ飛んだぜ!グロテスクでナンセンス、
でもすっごく刺激的、うちの子どもたち(小1・小2)を連れてもう1回行こうかな。こんなものを見せたら、イケナイ子に
なっちゃうかもしれないけど。

 可愛い女子高生が切腹したり、集団でミキサーにかけられたりするアブナイ絵から、太平洋戦争をテーマにした
シリーズ(日本軍の戦闘機がニューヨークを爆撃する風景とか)、ゴキブリや嘔吐をテーマにしたもの、ビンラディンが
酔っぱらってくだを巻いているだけのヴィデオまで、「美術品様」と崇められることだけはお断り!みたいな風情で、でも、
時代とバトルしてるところがナイスだ。

 サラリーマンの死体が山のように積み上がった大作「灰色の山」を見ていると、胸の中が怪しくざわめいて、野暮を承知で、
これは一体何を暗示しているのだろうか、と考えてしまう。現実すれすれのところで、ありえないものを描き、そのことで、
いま見ている現実がなんだか嘘くさく見えてくる。それがアートの力なんだろうか。

    *    *

 いや、おれがそう思ったのは、最近、なによりも「現実」であるべき政治が、「アート」みたいになってきたからだ。

 いま最高の「アート」の一つは、今年の春に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」じゃないかな。今度、首相になるらしい
安倍晋三さんも最高顧問を務める憲法改正推進本部が作ったやつだ。ってことは、これ、ほんとにおれたちの憲法になっちゃう
かもしれない。

※自民党日本国憲法改正草案
http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/116666.html

 まず「前文」の文章が下手すぎて泣ける。思わず添削したくなるが、わざとそう書いたんだろう。「基本的人権」は目の敵に
されているらしく、第12条にはわざわざ「国民の責務」というタイトルがつけられ「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを
自覚し、常に公益および公に秩序に反してはならない」とある。ちなみに現行では「(国民は自由及び権利については)常に
公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う」となってるから、人権、ずいぶん肩身が狭くなっちゃうね。この「改正草案」では、
「公益および公の秩序」ということばが乱発されていて、これに反すると何でもアウトみたい。えっ?たとえば、この論壇時評で
政府批判をしたら「公の秩序」に反することになって禁止されるわけ?

 でも、「表現の自由」があるから大丈夫…と思っていたら、さあたいへん。この草案では「表現の自由」はなくなっています。
正確にいうと、「第21条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」に続いて新しい項目が登場してる。
「2 前項の規定にかかわらず、公益および公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をする
ことは、認められない」のだそうです。

 この「草案」の起草委員たちが「主権は国民にはない」とか「天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方
です」といって物議を醸した。確かに首尾一貫している。でも、こんなのありえないし。だから、どう考えても「アート」にちがいない。
人びとの覚醒を促すために、わざと反感をかうような表現をとったに決まってる!

※togetter「自民党の西田昌司と片山さつきが、国民主権と基本的人権を否定してしまいました 」
http://togetter.com/li/419069

ふう。もう「アート」はいいや。難しすぎるよ。もっとわかりやすいものを取り上げよう。

 雑誌「アステイオン」は「それでも民主主義」という特集を組んだ。ジョン・ダン、宇野重規、空井護、それ以外の著者たちも違う
テーマを扱いながら、底に流れているものは同じであるようにおれには思えた。

 それは、「民主主義」は「もうライバルが残っていない」(ダン)ほど優れた制度でありながら、民主主義がいまきわめて危うい
状態にある、という考えだ。

 おれは、今度の選挙の直前、あちこちで「ほんとうに投票したいところがどこにもない!」という悲鳴のような声を聞いたが、
この著者たちは、そんな声に耳をかたむけていたのだろう。

 宇野は、こう言う――かつては「共産主義」が「民主主義の敵」であった。「敵」は「外」にいたのだ。だが、いまは「自らの内」
にある。排外的なナショナリズムの熱を受けて「外国人・移民」が「敵」になる。あるいは、平等を求めて生まれたはずの
「民主主義」の下で、格差が増大し、そのことに人びとは奇妙なほど無頓着だ――と。それはなぜなのか。そこから脱する
ことはできるのか。

 ほんとうに、これ以上の制度が考えられないのなら、おれたちは「これ」をなんとか使えるものにする努力をしなきゃいけない
のかもしれん。

 最後に、もう一度、「憲法」を読むことをお勧めしたい。といって、あの「改正草案」じゃない。あれは現代「アート」で疲れるから。
おれのお勧めは、エクアドル憲法だ。

※開発と権利のための行動センター:エクアドル新憲法について(08/10/12)
http://cade.cocolog-nifty.com/ao/2008/10/081012-6642.html

 目玉は、「自然」自体の「権利」を保障している条項だ。パチャママ(母なる大地)は「その存在と維持そして再生を尊重される
権利を有する」と書いてあって、恣意的な乱獲を拒めるのだ。いいなあ、エクアドルの草木は。そのうち、おれたち日本人より
人権(樹権?)が保障されてるってことになるのかも。

 よく考えてみれば、この憲法も、(むかつかない、人と自然に優しい)「アート」なんだけれど。


★会田誠展:天才でごめんなさい
http://www.mori.art.museum/contents/aidamakoto/index.html


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