「朝日ジャーナル」な時代

「朝日ジャーナル」な時代


ジャーナリストの筑紫哲也さんの訃報にしんみりしています。

僕が「朝日ジャーナル」を読み始めたのは浪人中の1979年のことでした。
70年安保闘争の匂いを感じさせた予備校の政治経済の講師に「朝日ジャーナルくらいは読んでおけ!」と叱咤されたような気がします(苦笑)。
この講師には岩波小辞典も辞書として薦められ、辻清明の「政治」を筆頭に、都留重人の「経済学」やらなにやら買いそろえた気もします。
最初に手にした「朝日ジャーナル」は「ユーロ・コミュニズム」の特集記事だったかなぁ?
新聞報道では伝えきれていない「三里塚闘争」や「勝共連合=世界基督教統一神霊協会=原理研究会」などの社会問題も、この雑誌から学びました。
名古屋・今池交差点にあった人文書籍専門の書店「ウ二タ書房」に通っては、三一書房から出ていた朝日ジャーナル編集部編の三里塚闘争の新書を買い求めて勉強したりと受験に関係のないことばかりむさぼるように読みふけっていた時期がありました。
僕の知らないことばかり毎週教えてくれた「朝日ジャーナル」は僕にとっては“社会の教科書”みたいな存在でした。
「朝日ジャーナル」な時代


この電話帳より厚い1500頁弱のアンソロジーは「朝日ジャーナルの時代」(朝日新聞社・1993年)です。パラパラとめくっていたら1969年6月1日号の記事に新宿西口フォークゲリラを扱った「歌を取締まるのはだれだ~反戦フォークに“戒厳令”~ギターを機動隊でけちらしたあとで、少しは広場が歩きやすくなったからといって、それがいったい、都民にとって、どれだけの救いになるのか?」ってのを見つけました。
なかなか読むべき箇所も多いし、読むべき価値のある記事が詰まっている資料集だと思います。
活字の持つ力や、活字ジャーナリズムの可能性ってのを、筑紫さんの死去で、今一度信じてみたい気がしています。
「朝日ジャーナル」な時代


僕たちが“バイク乗りの総叛乱”として提起した「(不当な)高速道路料金返還訴訟」にも、筑紫さんが編集長時代だった1984年に「シリーズ・こんなものいらない!?」の「有料道路」で強力な援護射撃をいただきました。
その一文は新潮文庫から朝日ジャーナル編集部編として「現代無用物事典」として平成元年に出版されたことで、僕たちの叛乱の軌跡も僅かではあっても歴史に留めることが出来たと感謝しています。

思えば、「朝日ジャーナル」廃刊後は硬派ジャーナリズムな雑誌って減っちゃいましたよね。
時代の変化といってしまえば、そうなんでしょうが、あまりにマスコミは大衆迎合しちゃった気がします。
「多事争論」も、筑紫さんが編集長時代の巻頭エッセイのタイトルだったんですよね。
いかにも民主主義的なルールや精神を含んだ言葉で、好きな言葉でした。

【週刊金曜日】http://www.kinyobi.co.jp/Recent


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