
▼ポーランド映画祭2015予告編
https://www.youtube.com/watch?v=9651c6tlcUk
▼ポーランド映画祭2015
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▼INTRO | ポーランド映画祭2015
2015年11月14日(土)~20日(金)まで、角川シネマ新宿にて開催
http://intro.ne.jp/contents/2015/11/10_1743.html
ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ映画『鷲の指輪』(1992年)の映画解説を読みながら「ふむふむ」と納得しつつ、先日DVD鑑賞したシーンを思い出し思い出ししながら頭の中で擦り合わせをしていました。
そんなことをやってる時に気がついたのが今年の「ポーランド映画祭2015」が今週末から新宿で行われることでした(笑)。
去年は確か渋谷界隈での開催だと思いますが、映画祭のパンフは持っていたし、気になる作品もあったのにうっかりスルーしてしまいました。
『鷲の指輪』も1944年のワルシャワ蜂起に参加した若者の苦悩と悲劇を描いた作品でしたが、今回の「ポーランド映画祭2015」では若手監督ヤン・コマサによるワルシャワ蜂起を題材にした『リベリオン ワルシャワ大攻防戦』(2014年)と実写を含めて編集された『ワルシャワ蜂起』(2014年)の2作品もかかかると知り、ポーランドの新世代の若手監督が描くワルシャワ蜂起像も強烈に見てみたいと思いましたが、どうも都合がつきそうになくショック!
ポーランド国民からすれば2014年の昨年が名誉と勇気あるワルシャワ蜂起から70年の節目にあたる訳ですし、そんな年に公開された歴史を記憶する装置の映画というのもやたら気になる存在です。
さてどうしたのものやら・・・。
▼ Movie Walker
『鷲の指輪(PIERSCIONEK Z ORLEM W KORONIE)』(1992年)アンジェイ・ワイダ監督 製作国/ポーランド イギリス フランス ドイツ 1994年12月日本公開
http://movie.walkerplus.com/mv16533/
【作品情報】
ポーランド映画界の巨匠、アンジェイ・ワイダ監督が自国の民主化に伴い、長年夢を見ながらかなわなかった2つの企画として、「コルチャック先生」に続いて完成させた監督第30作。「灰とダイヤモンド」から35年を経て、再びワルシャワ蜂起時代の青春像を通して、ポーランドの歴史の悲劇を描いた一編。共産主義体制の厳しい検閲下にあった「灰とダイヤモンド」や「地下水道」では描ききれなかった当時の政治的状況が、より克明につづられている。また、「灰とダイヤモンド」の主人公マチェックが登場して同作の有名な酒場の場面を再現し、2作をシンクロさせている。原作はワイダの「大理石の男」「鉄の男」の脚本を手掛けたアレクサンドル・シチボル・リルスキが60年代に書き、検閲を恐れて未発表だった小説『馬の毛の指輪』。脚本はワイダ、マチェイ・カルビンスキ、アンジェイ・コトコフスキの共同。製作はヤヌーシュ・モルゲンスターン。撮影はダリウシュ・クッツ、音楽はズビグニエフ・グルニ。主演は本作がデビューのラファウ・クルリコフス。共演はアグニェシカ・ヴァグネルほか。
【映画のストーリー】
1944年8月1日。ロンドン亡命政権の指揮下にある対地下軍事組織“国内軍”は、ワルシャワ市内の各部隊を一斉に蜂起させた。市内で待機中の国内軍兵士マルチン(ラファウ・クルリコフスキ)は、シタイネルト大尉(ピョートル・バイオル)の命で作戦の指揮を取る。国内軍は多くの市民を巻き込んで、ソヴィエト軍の支援を得られずに敗北する。力尽きたマルチンも一市民として非難するが、ウクライナ兵によって恋人ヴィシカ(アグニェシカ・ヴァグネル)が連れ去られ、彼女が大事にしていたポーランドの紋章をあしらった指輪をマルチンに残して、2人は離れ離れになる。マルチンはシタイネルトの命令で、対ソ連地下軍事組織“ニエ機関”へ参加する。元部下たちへ機関の存在を伝え、軽率な行動をとらぬよう説得して回った彼は、蜂起の時に知り合った、モスクワ指揮下で共産主義を信奉する兵士タタル(ミロスワフ・バカ)と再会した。45年、ソ連はワルシャワを解放した。完全にソ連の支配下に置かれた市内で、マルチンは共産側との接触を進める。まず、タタルのいる労働党地区本部を訪ね、彼の運転手の職を求めた。ポーランドの共産化を任務とした国家保安局の士官、コショール中尉(ツェザルイ・パズーラ)はマルチンを疑い、様々な罠を仕掛ける。コショールはある日、マルチンに運転させて近くの駅に向かう。マルチンはそこで、ソ連軍に投降しシベリア送りになる国内軍兵士たちを見るが、彼らの誇りを失わない姿にマルチンも涙を流す。彼の指輪に不信を抱いたコショールは、旧ポーランドを象微する鷲の王冠を削り取ってしまう。コショールは、護送される兵士の中からニエ機関のプラヴジッチ大佐(イェジー・カマス)を連れ出し、人里離れた家に移送する。彼はプラヴジッチとマルチンに、ポーランドの将来はソ連に託されることが決まったこと、欧米諸国からは何の期待もできないことを知らせ、共産側との話し合いを勧めた。マルチンの橋渡しにより、プラヴジッチとシタイネルトは話し合いに向かったが、これは罠で、2人を初めニエ機関の同志は次々と逮捕されていった。マルチンは機関のアジトでヴィシカと再会するが、彼女はもう彼にも指輪にも興味がないとばかりに去った。プラヴジッチらが逮捕されたことで仲間たちからも疑いの目を向けられた彼は、耐えがたい絶望の末に、拳銃で自殺した。
▼アンジェイ・ワイダ | ポーランド 広報文化センター
http://instytut-polski.org/wajda/
アンジェイ・ワイダ Andrzej Wajda
1926年3月6日、スヴァウキ県(現在はポドラシェ県)スヴァウキ生まれ。母親は学校教師、父親は陸軍将 校。父は1942年に、ソ連の内務人民委員部(NKVD)によりほかのポーランド軍将校や警官、国境警備員、聖職者らと共に銃殺された。この事件は後に現 場近くの地名を採って「カティンの森事件」あるいは「カティンの森の虐殺」として知られるようになり、近年ワイダ自身が『カティンの森』(07)として映 画化したことは周知の通り。同1942年、十代半ばにしてワイダは国内軍兵士となり、反ナチ・レジスタンス活動に従事する。
戦後、画家を目指してクラクフの芸術アカデミーで学ぶ。続いてウッチ映画大学に入学。アレクサンデル・フォルト監督作『バルスカ通りの五人組』(54、 未)の助監督を務めた後、ナチス占領下のポーランドを舞台に若者たちによる反ナチ闘争および(共産党系の)人民軍への加担を描いた『世代』(54)で長編 監督デビュー。 この作品には後のワイダ作品にも起用されるタデウシュ・ウォムニツキ、ズビグニェフ・ツィブルスキ、タデウシュ・ヤンチャルといった当時 の若手俳優が早くも顔を揃えている。また、ロマン・ポランスキーも重要な役柄で出演した。続いて監督した『地下水道』(56)と『灰とダイヤモンド』 (58)で世界的な注目を浴びる。
以後1960年代を通じ、超現実的な象徴性に満ちた『ロトナ』(59、未)、若者世代の生態描写を試みた『夜の終りに』(60)、ステファン・ジェロム スキの原作に基づく歴史大作『灰』(65、Vのみ)、『灰とダイヤモンド』の原作者イエジー・アンジェイェフスキの前衛的な小説に基づく『天国の門』 (68、未)といった野心作を発表。
1967年に気に入りの俳優ツィブルスキが列車事故で死去したのをきっかけに、映画製作の舞台裏を描いた個人的で内省的なワイダ版『8 1/2』(フェデリコ・フェリーニ、63)ともいうべき『すべて売り物』(68、Vのみ)を監督。ヤヌシュ・グウォヴァツキの原作・脚本に基づく諷刺劇 『蝿取り紙』(69、Vのみ)を経て、1970年以後はホロコーストを生き延びた作家を主人公としたタデウシュ・ボロフスキの小説に基づく『戦いのあとの 風景』(70、Vのみ)、一人の女性をめぐって張り合うやもめの兄と病弱な弟の姿を描いたヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチの小説に基づくテレビ映画『白 樺の林』(70)、象徴性に満ちた描写で詩人と農民娘の婚礼を描いたスタニスワフ・ヴィスピャンスキの戯曲に基づく『婚礼』(73)、19世紀ポーランド における資本主義の発生を描いたヴワディスワフ・スタニスワフ・レイモントの小説に基づく『約束の土地』(74)、『白樺の林』と同じくイヴァシュキェ ヴィッチの小説を原作とした『ヴィルコの娘たち』(79)といった作品を発表、いずれも高い評価を受けた。
アレクサンドル・シチボル・ルィルスキのオリジナル脚本に基づき、スターリン主義時代と現代を交差させながら、1950年代に労働英雄に祭り上げられた 一人の男の盛衰を通してポーランド現代史を貫く政治の闇を突いた『大理石の男』(76)は、カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞を受賞した。1970年 代末期には、英国人俳優ジョン・ギールグッドを主演に迎えた野心作『ザ・コンダクター』(80、Vのみ)を監督。
1980年代に入り、当時勃興していた 独立自主管理労働組合“連帯”による民主化運動をいち早く作劇に取り込み、同運動を先導したレフ・ワレサ(ヴァウェンサ)を自身として特別出演させた、 『大理石の男』の続編あるいは姉妹編にあたる実験的な大作『鉄の男』(81)を発表。この作品はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したが、“連帯”へ の関与が原因となってワイダの製作プロダクションはポーランド政府により解散に追い込まれた。また、1978年より務めていた映画人協会会長も辞任。
以後はフランスとの合作映画が増え、出演者にも西欧の俳優が連続的に起用されるようになる。たとえばフランス人俳優ジェラール・ドパルデュー主演の仏= ポーランド合作映画『ダントン』(83)、ドイツ人女優ハンナ・シグラ主演の仏=ポーランド合作映画『ドイツの恋』(83)、ランベール・ウィルソンやイ ザベル・ユペールらフランス人俳優を大々的に起用したフランス映画『悪霊』(88)といった作品である。そのほか、タデウシュ・コンヴィツキが原作と脚本 を担当した純粋なポーランド映画『愛の記録』(86)も発表した。1981年から1989年にかけ、レフ・ワレサ(ヴァウェンサ)率いる“連帯”顧問会議 の一員となる。
東欧革命によるポーランド共和国誕生以後は、実話に基づくポーランド=独合作映画『コルチャック先生』(90)、ポーランド=英=独=仏合作映画『鷲の 指輪』(92)、アンジェイェフスキの小説に基づくポーランド=独=仏合作映画『聖週間』(95)、アダム・ミツキェヴィチの叙事詩に基づくポーランド= 仏合作映画『パン・タデウシュ物語』(99)といった作品を発表。アレクサンデル・フレドロの戯曲に基づく喜劇『仕返し』(02、未)には、ロマン・ポラン スキーが主演した。現時点における最新作は、『大理石の男』『鉄の男』の主演女優クルィスティナ・ヤンダを久々に主演に迎えたイヴァシュキェヴィッチの小 説に基づくポーランド映画『菖蒲』(09)。現在、2013年公開予定でレフ・ワレサ(ヴァウェンサ)の伝記映画『ヴァウェンサ』を製作中。1989年か ら1991年にかけて上院議員を、1992年から1994年にかけては大統領(ヴァウェンサ)直属の文化評議会議長を務めた。
また、1959年にマイケル・V・ガッツォ『帽子いっぱいの雨』で初めて舞台演出を手がけた。以後、シェイクスピア『ハムレット』、ウィリアム・ギブソ ン『二人のシーソー』などを1960年代前半に演出。1970年代以後もドストエフスキー『悪霊』やプシブィシェフスカ『ダントン裁判』など、数多くの舞 台劇を演出。この二作品は後に自身の演出で映画『ダントン』(83)および『悪霊』(88)として結実した。1989年には、日本でドストエフスキーの小 説『白痴』に基づく『ナスターシャ』を演出。『ナスターシャ』には、坂東玉三郎がムイシュキン公爵とナスターシャの一人二役で主演した。さらにこの作品も 1994年に同じ監督・主演コンビで映画化された。
大の親日家としても知られている。1987年に、第三回京都賞の精神科学・表現芸術部門を受賞。このときの受賞基金を使って1994年、クラクフに「日 本美術・科学技術センター」を設立。1996年には高松宮殿下記念世界文化賞の演劇・映像部門を受賞、神戸映画祭で講演をした。
また、2002年に映画監督ヴォイチェフ・マルチェフスキと共同でポーランドに映画学校「アンジェイ・ワイダ映画マイスター学校」を創設。2000年にはオスカー特別名誉賞を受賞。2006年にはベルリン国際映画祭で名誉金熊賞を受賞した。
「世代」(1954)
「地下水道」(1956)1957年 カンヌ審査員特別賞
「灰とダイヤモンド」(1958)1959年ヴェニス映画祭 国際批評家連盟賞 1962年デヴィッド・セルズニック賞
「夜の終りに」(1960)
「二十歳の恋」(1962)
「すべて売り物」(1969)
「戦いのあとの風景」(1970)1971年ミラノ ゴールデングローブ賞
「白樺の林」(1970)1971年モスクワ国際映画祭金賞受賞
「婚礼」(1973)
「約束の土地」(1974)1975年ポーランド劇映画祭「金獅子」賞 1975年モスクワ映画祭金賞/1976年アメリカ アカデミー賞ノミネート
「大理石の男」(1976)1978年カンヌ映画祭 批評家連盟賞
「ヴィルコの娘たち」(1979)1980年アメリカ アカデミー賞ノミネート
「鉄の男」(1981)1981年カンヌ国際映画祭 「パルムドール」賞/ 1982年アメリカ アカデミー賞ノミネート
「ダントン」(1982)1982年フランス ルイ・デリュック賞
「ドイツの恋」(1983)
「愛の記録」(1986)
「悪霊」(1987)
「コルチャック先生」(1990)
「鷲の指輪」(1992)
「ナスターシャ」(1994)
「聖週間」(1995)1996年ベルリン 銀熊賞
「パン・タデウシュ物語」(1999)
「仕返し」(2002)
「カティンの森」(2007)2008年アメリカ アカデミー賞ノミネート/2008年ヨーロッパ・フィルム・アカデミー Prix d’ Excellence
「菖蒲」(2009)/第59回ベルリン国際映画祭アルフレード・バウアー賞受賞
「ワレサ――連帯の男」(2013)――2014年春日本公開予定