やっぱりね…の感はぬぐえませんでした。
「やらフェス」の基幹スタッフと思われる方々(全員ではないのかもしれないけれど…)の集合写真と、今年の浜名湖フォークジャンボリーの2日目のスタッフ集合写真を比べてみると、人数的に同じくらいか若干でも浜名湖フォークジャンボリー(浜名湖FJ)の方がスタッフ数は多いようにも見えます。
これが意味するものは、ステージ数16を誇る「やらフェス」と、メインステージ1つに絞った浜名湖FJでは、仮に「やらフェス」が数百人単位の当日ボランティアを投入したとしても1ステージ単位のスタッフ数では浜名湖FJの方が余裕があるんじゃないかってことです。
つまり、1つのステージを皆の協力で維持するためには、浜名湖FJくらいのスタッフ数や仲間がいても困ることはないということです。
1ステージに対するスタッフの密度が高ければ、主催者側にも余裕が出来て、お客さんたちへの細やかな気配りも可能になると思います。
多くの皆さんが「やらフェスは色んな場所で色んなバンドや色んな音楽が聴けて楽しい♪」という肯定的意見なのでしょうが、その反面か少数意見であっても「会場が広くて年寄りには移動が辛いよ」とか「ステージが多すぎて、見たいバンドがあっても時間もダブってどっちも見れないよね」みたいな声は不満や疑問の声までは主催者の方には届いていないのかもしれません。
出演者にとっても「屋外ステージは気持ちいいね♪」とか「やらフェスに参加できて感激です♪」みたいな喜びの声もあれば、「同じ出演料を払っているのに、メイン会場とは周辺設備に落差がありすぎませんか?」とか、「ステージ数が多いせいか、お客さんが分散して少ないんですけど…」、「毎回、出るステージの場所が違うと、会場の“掴み”がとりにくいんだよな」みたいな不満の声もあったように思えます。
主催者側の「大成功!」の大合唱の陰では、そんな“声なき声”もあるのではないでしょうか?
噂では、この僕のブログも「やらフェス」スタッフのリサーチ対象だとは聞いています(苦笑)。
それが本当ならありがたいことです。
ひとつの意見として受け止めていだたければ幸いですし、何か活かすべきヒントや種がココに眠っていれば報われるというものです。
イベントの熱気は、圧倒的な数のオーディエンスとの“時間と空間といった場の共有”だと僕は思います。
皆が同じ場所で盛り上がってこその一体感や思い出や体験の共有化だと思います。
それはオーディエンスに限らず、出演者やスタッフも含めての時間と場の共有化だと思います。
それがあってこそ「良かったねぇ~!盛り上がったねぇ~!最高だったよね」とお互いに肩をたたきあい、涙することも出来ると思います。
今回の「やらフェス」で、どれだけのスタッフが涙しながらフィナーレを迎えられたのでしょうか?
ハートが熱くないスタッフ陣に熱いステージは演出できないと思います。
出来るかどうかはわかりませんが、僕は「浜名湖フォークジャンボリー」では、皆で「やったなぁ~!」と泣けるステージを夢想します。オーディエンスの立ち上がっての拍手や、会場が一体化するような大合唱…そんな姿が夢です。
「来年も、また来てみような」なんて年配のご夫婦の声を聞いとしたら僕たちは間違いなく泣けてくると思います。
昨年、記念すべき第1回の「やらフェス」の1ステージを統括責任者として担当させていただいた私ですが、基幹スタッフ数の少なさとステージ数の多さで、直前になって舞台監督補助やタイムキーパーとしてN君が加わってくれて助かりましたし、MCの女性2名も慣れた司会をこなしてくれましたし、会場のライヴハウス「フォース」さんのご協力でPA、照明、ステージアシスタントは3名ついてくれましたが、当日だけの4名程の学生ボランティアはあっても、その会場に配属された基幹スタッフは私1人でしたよね?
それくらいに場末のステージではスタッフ層は薄かったのが現実です。
これも全てはイタズラに規模の拡大(ステージ数の拡大)を「役員会」の主導で図ったからに他なりません。
「市民参加」を謳いながら、その実、設立以前の「大規模市民音楽祭」構想の準備段階から参加していた私などの「初回にしてはステージ数が多すぎませんか?このステージ数で本年度の(強行)開催は無理があるんじゃないですか?」といった懸念や意見などは、意思決定機関の「役員会」の皆さんには聞き入れられたいたとは思えませんでした。
浜名湖FJは1ステージですし、今夏で5度目の使用なんだそうです。
浜名湖FJ以外でもスプリングフェス等で、浜名湖FJのスタッフは、あの会場を利用している関係で様々なことにも熟知している様子です。
使い慣れた会場であるが故に、次回へのヒントも課題も共有化できる部分が多数あります。
出演者も半分くらいは顔みしりですから、気心も知れたものです。
実行委員も増えることはあっても、減ることは少ないので、組織的なノウハウの蓄積が可能になっています。
ところが、「やらフェス」の場合、ステージ担当のスタッフにしても実行委員会のメンバーも個々の諸事情もあって前回と3分の1程度の入れ替わりもあった風なことも耳にしましたし、多少なりとも昨年と違う会場に配置された可能性はないでしょうか?
出演者にしても、2年連続での参加組にしても、昨年と違うステージでの演奏になった例も多いと思います。
これでは、スタッフも出演者も昨年のステージでの経験が生かせないケースもあったように思います。
舞台監督も毎回違うステージを担当では、演出面で毎回同じ苦労を強いられる結果にならないでしょうか?
昨年、僕が担当させていただいたライヴハウス「フォース」は、他ステージと条件が少し異なりました。そのステージの統括責任者をお願いされた瞬間から、「ちょっと待てよ」と考えた記憶があります。
ライヴハウスのステージはビル内の3Fです。
外の有楽街からは直接はステージも見えなければ、音も外に聞こえないわけです。
つまり、そぞろ歩いていても、そこが会場のひとつだと視覚的にわかりにくい可能性に気がつきました。
この段階では本部側が用意してくれる「やってる感」演出のための看板の具体的な物までは提示された記憶がありません。
そこで、ライヴハウス側にお願いに出かけて、店の外側(一階の店舗前)の長机設置や100ボルト電源のコンセントをお借りするお願いをして、外に呼び込み用の出店ブース(曲輪?)を設置することを僕の判断でやることを決めました。
筆記用具も自前で用意してアンケート用紙の記入も机があれば便利です。
恐らく、この会場の特殊性は「役員会」にはわかっていなかったと思います。
つまり、役員会の大半が、過去にプライベートで「フォース」に足を踏み入れた経験さえなかったのです。
ここで新たな問題が登場しました。
1会場であるにもかかわらず、スタッフの配置は呼び込み用の外スタッフと、ライヴ会場内と二か所に物理的に分かれてしまうので、限られた手駒の中で、スタッフの配置をやりくりする必要が出てきました。
本部にも「フォース会場は、そういった事情でボランティア数を増やしてください」とはお願いしたものの、すんなりと要請が通ったとは思えませんでした。
市民ボランティアを統括するセクションに於いても、フォース会場の特殊性はピンとは来ていなかったとしか思えません。
結局、僕は呼び込みにしても一日中、ボランティアの方に肉声で「ここでもやってますよ」と声を枯らして連呼させるのも申し訳ない気がして、台車にローランドの簡易PAやマイク、BGM用のラジカセや、この日のために編集した街頭向けCD-Rや、電源をコンセントからひっばる電工ドラムやスピーカー用のマイクスタンドなどを満載して会場入りしています。
こういった機材に関しても、たまたま自分が「放課後倶楽部♪」なんてバンドみたいなことをやっている関係で、大小のPA機材は自前で持っているので助かりました。
ボランティアの方にも、通行人の皆さんへのアナウンス原稿作りの指導もしました。
本部から渡されたアンケート用紙も20枚程度のものでしかなかったので、先に自腹でコピーを80枚程して持参した記憶があります。
チラシも自前で制作しました。本部から何枚のチラシ等を交付されるのかは不明だったので、最悪の場合を予想して200枚程を自分で制作しました。
そこには、独自の「切り口」も用意しました。
それは「ライブハウス体験」でした。
日頃、ライヴハウスってものに縁のない人は多いと思います。
ライヴハウスって場所に足を踏み入れたことのない方にも、折角の無料開放の日なので、「どんなところだろう?」と興味本位で構わないので立ち寄って欲しかったのです。
小学生であれば、「あ~うるさい!」と、すぐに耳を押さえて飛び出してきてもらっても構わないわけです。
音圧がすごくて、照明が綺麗で、暗くて、人がいっぱいいて、ちょっと煙草くさかったりもして…好き嫌いはともかく、そんな感想でも印象でも何か子供たちが感じて帰ってくれれば「社会科の見学」のひとつとしていいかなと僕は思いました。
子供たちには“異界への扉”をちょっと開けて恐る恐る覗いて欲しかったのです。
中学生(いまどきなら小学生からか?)くらいになれば、エレキギターやバンド活動にも憧れる子だって多いと思います。
校則上でライヴハウスへの親の同伴無しでの出入りは普段は禁止されているのかもしれませんが、この日だけは堂々と出入り自由でした。
格好良くプレイするお兄さんたちのステージに触れて、「俺もロックしよう!お年玉でギターを買って練習するぞ!」と思ってくれれば、彼らは明日の浜松の音楽を支える予備軍になってくれるはずです。
そこから、将来メジャーデビューを果たす人たちだって出てくるかもしれません。そんな想いを込めて、独自のチラシには「ライヴハウス体験をしてみませんか?今日は無料開放で大人も子供も出入り自由ですよ♪」風にキャッチコピーを書いたつもりです。
勿論、こんなチラシを用意して配布することなど、本部の許可も得ていません(笑)。
組織的には間違ったことであっても、「とにかく君に任せた!後はフォースのスタッフで話し合って…」みたいな殆ど“丸投げ”状態の本部でしたから、現場判断として僕は独自の行動を実行しました。
今だから言っちゃいますけど、演奏時間も、ちょっと緩めにしちゃっています。
5分程度の時間オーバーは、バンドのノリと客の反応を見て、後半では随分と融通をきかせています。
本部的には僕の運営は問題がある暴走とはいえ、会場全体の雰囲気ってのを僕は優先しました。
杓子定規だけでは運営できない側面はあります。
現場判断で責任とればいいだけでしょうし、規則違反は僕が責任とって辞任すればいいだけの話です(笑)。
それでも、お客さんに楽しんでもらえればいいわけですし、僕の主眼は双方の楽しさの演出です。
バンドの入れ替えで30分も空き時間があるので、多少時間が押しても次の演奏に問題は出なかったのです。
当初、雨天用の緊急避難用の予備的なステージとして考えられていた節もあって、雨天時に幾つかのバンドを収容できるようにプログラムは空き時間だらけでした。
バンドの入れ替えで丸々30分も空き時間があったので、お客さんは皆帰ってしまいます。これは僕の中でも、最初から予想された範囲でした。
その空白タイムを埋めるべく、次のバンドのカラーにあわせて選曲したSEをバンドの数だけCD-Rに編集して持ち込み、会場内に流したりして小技的な演出などもしていました。
その辺にも「あれ?小池さん…いい感じの曲じゃないですか」って顔で気がついてくれたナイスな出演バンドさんもいました。ありがとね♪嬉しかったよ♪
セッティング中にBGMにノリノリで足でリズムをとっていたギターの方もいました。
ブルース系の方にはブルースを、メタルの方にはハードロックを、国産ロックの方には和製ロックや歌謡曲ロックをと意識して事前にエールとして編集しました。
次の出演バンドの気分が上げ上げになればと僕は考えていたと思います。
メインステージでは飲食の販売を行っていましたが、「フォース」会場での販売は本部からの許可は降りませんでした。
会場内での未成年っぽい連中の飲酒等には僕は目を光らせていたつもりですし、アルコール販売となれば対面販売ですから、そういった事情はメイン会場と大差はない気もしますが、許可は降りませんでした。
お店側の理解と許可はとっていただけに残念でした。
ここでも、メイン会場と周辺ステージでの落差(格差?)があったと思います。
ステージ間が30分も開いてしまうので、アルコール販売でもして、ちょっと一杯やりながら次のステージを場内で歓談でもしながら待ってもらえればと思ったのですが、甘かったですね(笑)。
もっと子供たちが入っていれば、演奏が終わった皆さんに客席に降りてきてもらって、「どうすればギターが上手くなるんでしょうか?」なんて瞳を輝かせた少年たちの質問とプレイヤーとの交流タイムも夢だったな。
子供たちにとって、ライヴハウスのステージが最初の目指すべき憧れの演奏空間になってくれればという願いでした。
おかげさまで昨年の「フォース会場」への来場者は800名前後はカウントしたような曖昧な記憶があります。
集計用紙も、そのまま本部に提出してしまいましたし、各ステージ毎の参加人数の一覧などは、僕のような下っ端の実行委員まで資料は送られてこなかったのでよくわかっていませんが、不思議とお客さんはよく入ってくれて最後の方はかなり窮屈なくら
いの満員状態でした。演奏もパフォーマンスもグッドなバンドが後半は占めていたかな。
本部から警備員の方が1名配置されていましたが、定年退職後の初老の方で、とても騒ぎになった時に頼りになりそうな気もしなかったのと、彼自身も何をしていいのかわからなかった様子なので、外と3F入口までの間にいてくれればいいよ的に指示しておきました。制服の抑止力ですね(笑)。彼はよくやってくれたと思います。時々、楽しそうに会場を覗いては、また下に下がってはと懸命に階段を一日中何往復もしてくれていました。ありがとう!
そうそう、こんなこともあって、僕は血管が切れそうになりましたっけね。
問題は、ただでさえ人手が足りていない状況での本部からの仕事の追加でした。
これには血管がプチ切れました。
まだ、超真面目に2人でタイムキープしながらライヴを運営している時のことです。
僕は統括責任者でもありますから舞台祖で全体を見ながら、反対側でタイムキープをしてくれているN君とアイコンタクトをしながら進めていました。
と、コソッと入ってきた本部の人間がN君の袖を引いて会場から連れ出す光景に出くわしました。
今はライブ中です。
彼はタイムキーパーですから、現場責任者の僕を通さずに、僕のスタッフを場外に連れ出すことにカチンときました。
その用事の中身は「アンケートをもっと集めて欲しい」といったことでした。
更に僕の血管は何本か切れました。
当日、朝、本部から渡されたアンケート用紙は20枚程度のものでした。
僕もそうなんですけど、アンケート協力なんて面倒くさい時があります。
お目当てのバンドを見終わったら、次の会場へ移動もしたい気持ちもわかります。
そんな時に、アンケートをお願いしても、立場が自分であれば、なかなか協力は難しいところです。
たとえば「アンケートにご協力いただいた方には、豪華パンフレットを差し上げます」的なプレゼントや景品みたいのがあれば、アンケートの回収率も高いかとは思われます。
もしくは「お渡ししたアンケートは、後で本部テントの回収箱にお入れくださると助かります」とアナウンスして、バラ撒くしかありません。
本部から渡されたアンケート用紙の20枚か25枚くらいの数を見た時に「アリバイ的にやればいいよな?忙しいしな」と僕は思いましたし、それでも自分で80枚程コピーしたアンケート用紙を持参したのはバラ撒き作戦も想定した上での判断でした。
自慢じゃないけれど、昨年の15ステージで、責任者が自腹でアンケート用紙を刷り増しして用意した奴って僕以外にいるんですかね?(笑)
ああ、それなのに、それなのに、本部からは「もっとアンケートを回収してくれないと困る」風に具体的な方法論の指示もなく現場には命令が下るのです。面白い組織でしょ?(笑)
現場は少ない人数で、それでも仲良くへいこらへいこら頑張っているのに、更に「これやって!」と負荷をかけてくるくらい本部は偉いのです。
後で巡察にまわってきた委員長と副委員長には「さっきさぁ~、本部からアンケート用紙の件でさぁ~」と事情を説明して強く抗議した記憶があります。配属された仲間と頑張って楽しくやっているのに、どうして、あんな風に現場の空気に本部が水を差すのか意味不明でした。現場の空気の読めない人っているんですよね(笑)。
イベント経験のないド素人が本部役員にいる証拠でしょうね。
アンケート用紙が欲しければ、本部備え(本部詰め)のボランティアに刷り増しした用紙を持たせて各会場に派遣するのが筋でしょうし、そんな遊軍ボランティアが人数的に足りていないのも、会場数の多さとボランティア数のバランスがとれていない証拠じゃないのかなぁ?「ボランティアなんて、浜松はすぐ集まる」と会議で最初に豪語していたのは誰でしたっけ?(笑)
僕は怒りっぽい性格なのかもしれませんが、無意味にキレるわけではありません(笑)。
一所懸命な方には優しいつもりです。
逆に、偉そうな奴や筋の通らんことは大嫌いです(笑)。
ストレートなわかりやすい性格だと思います。
鬼でもない僕は、ボランティアの子が5~6人いたら、2人1組でローテーションを組んで、外の呼び込み役もあるけれど、時々は中の様子を見させてあげて演奏を楽しませてあげたいと思っていましたが、人数的に4名しか配属されなかったと思うので一人ずつくらいしか中の様子は見させてあげられなかったかもね。
「お父さんが、出ているステージがあるんで見に行きたいんですが」とボランティアの子に涙目で訴えられれば、内心は「ちょっと待てよ、ボランティア募集段階で、ボランティアは余程のことがない限りは持ち場は離れられないよ」みたいな“縛り”で募集をかけてないのか?募集要項が甘くないか?しかも、こいつは、この会場のボランティアのチーフって紹介だぜ?ボランティア募集の責任者を呼べ!」とは思ったものの、優しい僕のことですから、「あ~、家族が出るんじゃね。行っておいで」と送り出して、
その間は来場者のカウントも僕が兼務だったのですが、出かけた子はなかなか戻ってこないのも道理でした(笑)。
念まで押して説明して頼んだ弁当の数も間違えて持ってきてしまうボランティアの子もいました(笑)。
俺…自分の「フォース」チームにはRESUMEまで用意して朝、説明したんだけど…それで弁当の数まで間違われると頭痛いよね(笑)。
そもそも弁当って必要なのか?
俺は弁当欲しさに手伝っていたわけじゃないし、「弁当が出なきゃ手伝わない」ってほどのバカじゃないよ(笑)。
弁当の予算だって相当のものじゃないの?
そんな予算があったら、他にまわして欲しいよね。
例えば、ステージの後ろの「やらフェス」的なパネルや横断幕的な旗とかね。
スタッフに人数的な余裕があれば、交替でコンビニに自分の弁当くらい買いに行くし、メイン会場のように周辺に飲食ブースがあるならヒマみて買い食いして済ますと思うけどな。
浜松って「弁当ないとボランティアしてくれないわけ?」なの?
違うよね?
みんなは、会の理念や趣旨に賛同して手伝ってくれるんだろ?食事くらい自腹でも文句でないと思うし、そういった熱いハートの仲間を最初から集めなければいかんでしょ?
学生時代から「他人の金で食うビフテキよりも、自分の金で食うラーメンライスを!」主義で生きてきたので、志さえ共感できれば弁当が出なくても僕なんかは手伝うつもりでしたよ。
「フォース」のイベントが終了して、簡易PA等を積んだ台車を引きずって、駅近くの時間貸し駐車場に向かう際にメインステージ前のフィナーレ風景にも遭遇しました。
酔っているのか、スタッフジャンパー姿の集団がステージ前で騒ぐ姿に興ざめしたのをおぼえています。徒党のごとく肩を組んでは、わぁわぁとステージ前に押し掛けていましたが、あれを盛りあがりと受け取るのか、から騒ぎと捉えるのかは微妙でした。
「こいつら、メイン会場だからといって酒でも飲んで騒いでいる結構な身分の連中なんだろうな?こっちは買い出しも頼めないから便所の水を飲んで喉の乾きをうるおしていたというのに、ここは飲食の販売もあって優遇されてるね」って思いました。
当夜の「打ち上げ」会場でも、車に積んだ機材を運んで帰る用事もあったので一滴も飲めずに退散した記憶があります。担当ステージを少しでも良くしようと、機材を自前で用意して東京から車で運んできた僕みたいな人間には酒も飲む権利もなければ、そんな気分にもなれなかったですね。
遠くの座敷で飲みまくって騒いでいる連中を見ていると正直不快でしたので、一番隅っこの席で気心の知れた浜名湖フォークジャンボリー仲間が集まっている場所で大人しくしていました(笑)。
考えてみると、僕が大人しいってことの方が、僕のキャラを知る人にとっては不気味ですよね(笑)。
僕は不機嫌な時は黙り込む傾向がありますし、そんな時は頭の中で色んな思いを巡らしている時です。
「もう、2年目の手伝いは、こんな有様ではつきあいきれんな。今日の『やらフェス』を主催者側が無邪気に大成功と喜んでいるようじゃ反省も総括もないんだろうな。それじゃ、発展もないわ…」とムカつきながら考えていました。
損をするのは慣れていますが、素面では、あの場に溶け込めなさを正直感じていました。
得てして、飲み会で威勢の良い奴に限って、会議で静かだったり、会議に加わってもいない傾向ってないですか?(笑)
準備段階で、あまり見かけなかったような方々が、随分と酒で盛り上がっているのは、同じ店内にいても違和感がありました。
「なんだ?この連中は?誰?ボランティアか?あまり顔も見た記憶ないけど、こいつもスタッフなの?」ってね(笑)。
風の噂では、他ステージへの椅子の緊急移動に、実行委員長と副委員長自らが椅子を抱えて運んだなんて涙ぐましい話も今回は耳にしました。
実行委員長クラスは本部にデンと構えて、様々な会場からの情報やトラブルに指揮下の兵力にコマンドを発するべき立場であったり、会場全体を視察して来年への問題点や課題をつぶさに探るべき立場が仕事だと思います。
他会場で椅子の不足を訴える情報が入ってきたら傘下の学生ボランティアに「そこの元気な学生さん5名で、あっちの会場に椅子を20脚、緊急で運んでくれ!」とお願いすればいい立場なんだと思います。
そんな“予備兵力”さえ本部には存在しなかったということになるのでしょうか?
たまたま本部詰めの予備戦力のボランティアが別の用事で出払っていたのかなぁ?
椅子を自ら汗をかきながら運んでいった委員長さんも副委員長さんも、昨年は一緒に泣き笑いもした仲間なので、その顔も浮かびます。
そんな話を聞くと、彼らの苦労と努力と真面目さと必死さに思わず涙が出そうです。
僕にとっては知らない人達じゃないからね。
「何故、そこまで苦労するのにステージ数を減らせないんだろう?」という素朴な疑問も同時に頭の中を過ぎります。
ステージ数さえ減らせば、ステージ単位の基幹スタッフと当日ボランティアの密度も厚く布陣できるので、委員長クラスが慌てふためいて他会場に自ら椅子を抱えて走るなんて悲しいことは避けられるような気がします。
委員長は対外的な「やらフェス」の顔です。
副委員長は委員長が席外している時には委員長の代行役でもあります。
委員長と同格の権限の「総合プロデューサー」を置いてもいいと僕は思います。
イベント慣れしていて、音楽にも精通していて、演出面や将来的な「やらフェス」の姿や方向性のイメージも持っていて、指揮命令という意味でも多少の迫力や“押しの強さ”のある人材を確保した方が委員長の開催当日の負担も軽減できると思います。
そんな総合プロデューサーを中核にした企画集団が「やらフェス」内に恒常的に設置されたら楽だと思うんだけどな。
「やらフェス」は、浜松を代表しうる無限の可能性を秘めたイベントだけに、この1年をかけて、今回噴出した問題点を煮詰めて来年に活かして欲しいと思います。
それには充分な議論と真の意味での“開かれた組織作り”が求められているような気がしてなりません。
総括の視点は常にクールに「成果と限界」を踏まえるべきでしょう。
民主主義は多数派による強行採決ではなく、異なる意見や少数派の声も尊重すべき態度なんだと思います。
諸手をあげての「大成功!」の広報アナウンスには違和感を感じざるを得ません。
ステージ数の問題は今後もつきまとう問題のような気がしてなれません。
規模の縮小は実行委員会としては不本意で、なかなか手をつけるには勇気が必要なことかもしれません。
日本には便利な言葉があります。「転進」です(笑)。
ステージ数を絞ることは、単純な規模の縮小ではなく、「皆(スタッフ、出演者、オーディエンス)で、一緒の時間と空間を共有するんだ!」に転換して昇華すれば良いだけの話です。
メインステージと2~3個のサブステージでの開催なら、オーディエンスもスタッフも分散を今よりは避けられると思います。市内のライヴスポットは連帯(連携)企画としてサテライト会場としての参加も可能だと思います。
聴かせる音楽だけでなく、オーディエンスと一体化の“参加型のステージング”も一考の余地があると思います。
浜名湖フォークジャンボリーでは既に「シング・アウト」形式の視点が一部では沸き上がっています。「シンギング・ロンドン」なポップ・カルチャーが開花した時代がロンドンにありましたが、「シンギング浜松♪」(「シンギング・イオン」じゃないに…)もいいじゃないですかっ!
人口80万の中核都市(ミッド・シティ)浜松を表現するネーミングが「やらまいか」なら、それはそれでいいでしょう。
その「やらまいか」とやらの精神で、次は多少の雨にはステージが耐えうる「野外音楽堂の建設」や千人規模を収容可能な野外会場の確保も射程に含めて然るべきだと思います。
「音楽の街」宣言して17年は経つと思いますが、そんな中核都市に野外音楽堂ひとつないのは悲しいですよね?
僅かに地方博の残滓で「ガーデンパーク」のステージが県からもらえたくらいでしょ?(笑)
野音といっても日比谷野音のように立派な客席がなくても、代々木公園の野音のようなフラットなスペースでのオール・スタンディングの野音施設で充分だと思います。現に、そんな代々木公園の野音でも今年の「アースデイ」では「渋さ知らズ」の熱狂のステージが敢行されていました。
野音建設は「音楽の街・浜松」を標榜するお役所の仕事でしょうけどね(笑)。
野音がなくても、既存の空間でも500人規模のメインステージは設定可能でしょうしね。
ユニークな企画は来月のアクトで開催の「渋さ知らズ」の客席への楽器の持ち込み企画です。世界に誇る天衣無縫の熱狂のフリージャズ集団「渋さ」とオーディエンスが一緒に演奏可能なんて世界でも稀な企画ですし、ブラス熱とブラス人口の高い浜松でしか実現できない優れた企画だと思います。会場さえ野外で無料開放に出来るなら、とんでもないイベントに発展する可能性を秘めています。
参加して楽しい音楽イベントなら自然と人は集まるものです。
そこに「うまいヘタ」は関係あるのでしょうか?
「うまいヘタ」は本当に一番のポイントで一番の絶対的に死守すべき基準なんでしょうか?一所懸命さや真剣さは自然と客席にも伝わるものだと信じます。
「やらフェス」ならではのスペシャルな「実行委員会バンド」でも組んで、メインステージで実行委員の笑顔を見せてくださいよ。サポートは浜松の誇るブラスバンドもいれば、ゴスペルグループのコーラスだって手伝ってくれるのではないでしょうか?
普遍的なテーマソングを設定しても良いと思います。
この案は昨年からしつこく僕は内部で熱く語っていましたよね?(笑)
古参の実行委員の方々なら知るところだと思います。
昨年の浜名湖フォークジャンボリーの会場でも鈴木実行委員長とお話した記憶が僕にはあります。おぼえてないか?(笑)
色々と偉そうに(?)苦言を呈していますが、もう一度「原点」の2006年5月号の「浜松百選」に掲載された鈴木建也さんの「ほんとうの音楽の街ができるか。」論文に立ち帰ってみましょうよ♪
あの文章が今日の「やらフェス」の導火線であったのは準備段階からの古参スタッフであれば周知の事実です。
僕もまた、あのテキストを何度も何度も何度も読み直してはあれこれと思いを馳せては考えています。
秋は、そんなことには適した季節かもしれません。
迷った時は原点回帰です。
出発点の純粋な気持ちと、現状にギャップがあったとしたら、修正をかける勇気は必要だと思います。
まだ、よちよち歩きの「やらフェス」なんですから、試行錯誤の段階であるのは自他ともに認めるところではないでしょうか?
皆さんが目指す1991年からスタートして18年目を迎えた「定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台」にしても、その前史として1987年から4年間に渡り「LIVE141定禅寺ストリートジャズフェスティバル」の名前で開催され、その4年間の蓄積を発展的に解消して現在の形になっているのは、ソレを僕に教えてくれた皆さんが一番わかっていることだと思います。
そんな助走期間を仙台も経ているわけです。
その意味では、「やらフェス」も今の形にこだわらず、助走期間と位置付けて、来年に向けて柔軟な発想があってもよろしいのではないでしょうか?
そろそろ“仙台の呪縛”から自らを解き放とうではありませんか?
僕らが大好きな浜松の街には“浜松流儀の音楽イベント”があってもいいじゃないですか?
あっ、「やらフェス」の皆さんのご意見ねご感想も心からお待ちしております(笑)。
【浜名湖フォークジャンボリー】
http://hamanakofolk.hp.infoseek.co.jp/
【やらまいかミュージックフェスティバル】
http://www.yaramaika-mfes.com/