新しいジャズは中央線から生まれる?

新しいジャズは中央線から生まれる?


誰が何時から言い出したかは知らないが、どうやらJR中央線沿線には「中央線文化」とか、「中央線ファッション」とかが曖昧ながらも存在するらしい。
そんな言葉で括ってしまうのもナンセンスなことかも知れないけれど、堅苦しいことは抜きにして行きましょう!(笑)
文部省の中審申答申とかだったか“大学の総筑波大学化”だったか、大学はこぞって郊外に移転したり、分離キャンパス化で都市部から学生の姿が減ってしまったかもしれないけれど、それでも相変わらず神田、お茶ノ水界隈は往時のカルチェラタン的な学生街の雰囲気も少しは残っているよね。

再開発されてブランド店が立ち並ぶ街(代官山、原宿・表参道、六本木ヒルズ、ミッドタウン、赤坂サカス等)には興味も湧かないし、そもそもワシのような貧乏人には高価な海外ブランドなんか買えもしないから興味もないよね。
その点、ゴミゴミしていていたり、ガード下のあの雰囲気は昭和や戦後の匂いを今もプンプンさせている中央線沿線は落ち着きます。
東海道本線が高架される前の、砂山の地下道…真っ暗で、ジメジメしていて、車がすぐ脇を通り抜けるようなスリリングさに満ちた、あの界隈の雰囲気なのです。
駅前のバスロータリーの一等地の一角に屋台風の焼鳥屋がもうもうと煙をあげていたり、線路のガード下とガード沿いに店舗が立ち並び、通路や路地までプラスティックのビールケースを利用した椅子やテーブルが設けられていて、そこで賑やかに酒と会話を楽しむ人々が溢れている日常的風景には活気があります。
その意味では中央線的文化や風景を毛嫌いする人々もいますが、そんなお洒落な人たちはそもそも寄りつきませんから関係ないのです(笑)。

昨日で終幕した「阿佐谷ジャズストリート2008」の阿佐谷も中央線の駅でいえば高円寺と荻窪に挟まれたエリアです。
新聞記事にも「今では中央線沿線を代表する秋の風物詩として定着している。今年も、青春時代を阿佐谷で過ごしたジャズピアニスト山下洋輔さんらのライブをはじめ」とありました。
中央線はロックと並んでジャズも似合う街が多いようです。

東京で現存する老舗のジャズ喫茶の名前を2つ挙げろと問われれば、四谷の「いーぐる」と、吉祥寺の「Meg」を挙げる方もいるかと思われます。
その2店の共通点は中央線沿線ってことにもなりますよね。
このCDジャーナルムック「中央線ジャズ決定版101~極私的こだわりジャズ・ディスクガイド」(明田川荘介監修)のジャズピアニスト明田川さん経営のライヴハウス「アケタの店」も中央線の西荻窪にあるそうです。やっばり中央線沿線なのです。(笑)
それでは、何故これ程までに中央線にジャズが根を張ったかという理由は本書に譲るとしても、簡単に言ってしまえば新宿の若者文化の郊外への流出なんだろうな。
新宿は前衛的なジャズ・スポットも多かったけれど、店が潰れてしまったり、西口の反戦フォークゲリラしかり、東口のヒッピー文化しかり、70年安保闘争の終焉とともに彼らは新宿から駆逐されて、何時の間にか「健全」っぽい街を作ろうなんて機運と馴染ない自由な精神の彼らは中央線沿線か一部は渋谷、下北沢方面へと流れていったようです。

この2日間、仕事で睡眠2時間の日が続いたので、さすがに今日はダウン!(笑)
起きたら、もう夕方前じゃんかよっ!(泣)
気晴らしで晩飯散歩でも行ってくるか?
続きは後で書くことにして…。


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この記事へのコメント
「阿佐ヶ谷」私にとって、懐かしい響きです、

10代後半、阿佐ヶ谷の北5丁目6の○○「おれんち荘」
3畳一間、家賃 6500円 のアパート、
当時としては、高かったですが、住んでおりました。

今でも有るのかな 、
北口の河北病院の先の、5差路の裏くらいでしたね。

当時の中央線沿線の、
ライブ・ハウスは、
吉祥寺の「ぐらん堂」くらいでしたかね、

高円寺の北口、の紳士服の量販店の地下に、
「次郎吉」という、ライブ・ハウスが、
当時オープンしましたね、

昭和40年代のお話ですが、

中央線沿線も、それまでは、
フォーク中心の、お店が多かった記憶ですが、

「次郎吉」で、
私は、初めて「ブルース」に、出会いました。

関西のブルース・バンド
「ウェスト・ロード・ブルース・バンド」と言うバンドを、
初めてお聴きしました、

それまで、フォークしか、知らない、
私にとって衝撃的な、一夜でしたね、

ギター・リストが、お二人 、
山岸 潤二さんと、塩次 伸二さんと言う方でした、
スバラシイ演奏でした、

私と、同じくらいのお年の方なのにね、
演奏テクニックに、感動しましたね。

この、ライブから、「ブルース」に興味を持ちました。


山岸さんは、
数年前のNHKの番組で、取り上げれていました、
ジャズ・ブルース、ギターリストで、
災害に遭われたニューオリンズで、
復興活動で、ご活躍だとか、

塩次様は、
今月、10月19日に、急逝されたとか、
「合掌」です。
Posted by 二俣ブルース研、 at 2008年10月26日 22:10
コメントありがとうございます。

やっぱり実際に住んでおられた方は情報の密度が違いますよね。

僕は学生時代は大学の関係で目黒区や品川区といった南の方で生活してい

たので、高円寺とかは30歳前の80年代も末になってから、バンドやってる

後輩たちが東高円寺に住んでいたり、彼らの練習やライヴに付き合うことで、

やっと高円寺に足を向ける程度になったのかな?


名古屋で浪人していた時に、三重の松阪の奴で山岸潤二さんのファン

の奴が下宿先にいました。そんなことを思い出しました。
Posted by 放課後倶楽部放課後倶楽部 at 2008年10月27日 00:40
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