
80年代を共に駆け抜けた「ライディング・ハイ連絡会」の仲間たちへ

“ニューパン(ニューヨークパンクの略)”のブロンディの「コール・ミー」を聴いていて、「あれ?」とイントロ部分で思い出したのが、1発屋・ローズマリー・バトラーの歌った映画「汚れた英雄」(1982年)の主題歌でした(笑)。似てるもんな(笑)。
この曲のサビの「ライディン・ハイ」の歌詞部分に妙にハマった時代が僕たちにはありました。

80年代ミッドな時代、僕たちは通称「ライディング・ハイ連絡会」というバイクの全国組織を擁して建設省や日本道路公団、首都高速道路公団といった巨大組織を相手にバイクの通行料金の値下げを求めて(無謀にも?)果敢な闘いを展開していました。
“バイク界の極左武闘派集団”なんて評価もあったのは、東名高速を数百台で集団走行したり、都内では“日本初のバイクデモ”を実力行使していたせいもあります。
勿論、合法闘争ですから、集団走行は集団示威行動でしなく、単なるマス・ツーリング、デモは警視庁本庁まで弁護士さんと出向き、警視正クラスさんを相手に「もし、バイクデモが禁止なら…日本国憲法に定められた“表現の自由”にも抵触するから…提訴すれば憲法論争たがら確実に最高裁までいくかもなぁ~♪それはそれで楽しいかもな?問題が大きくなるもんな♪」と独り言をブツブツ云って(恫喝じゃないよん♪)、申請を通したような記憶があります(笑)。
まぁ、東京地裁にバイク数十台で突入したバカな集団は歴史上、後にも先にも私たちライディング・ハイ連絡会だけでしょう!(笑)
警備陣の「法廷へのヘルメットの持ち込みはダメです!」の悲鳴に近い絶叫に、「あのね、過激派のヘルメットと違って、コレは僕らの頭を守るヘルメットで、バイク乗りにとっては大切な身体の一部なの?わかる?盗まれても困るしね。しかも、僕らは原告団なのね」と屁理屈こねていたのは…俺か?(笑)
そんなヤンチャなことばかりしていた「ライディング・ハイ連絡会」の組織名称を決定する会議にも立場上参加していたんだけど…なんでライディング・ハイに決まったのかなぁ?(笑) かなり記憶が曖昧です。
恐らく、この曲のサビのリフレインが強烈に皆の頭に残像としてあったのかもな。
映画「汚れた英雄」を観終わった後の映画館の周辺では、気分が高揚したバイク乗りが、TZ500でもあるまいに、わざわざ“押しがけスタート”でエンジンをかけて、不必要なまでの空ぶかしとクラッチミートで走り去るシーンがよくありました(笑)。
でも、この曲を聴くと思わず走りたくなる気持ちはわかるけどね(笑)。
バイクで走っていて、当時、コーナーの手前や出口で頭の中に、この曲が流れていた方は多いと思うよね(笑)。
後に小説家の山川健一氏が「ライダーズ・ハイ」という造語を作品の中で発表しますが、アレは長時間バイクに乗り続けていると発生するナチュラル・ハイな精神現象や感覚を指した言葉だよね。
映画「汚れた英雄」では、草刈正雄が演じる主人公・ジゴロな北野昌夫のレースシーンのスタントをヤマハ(当時)の平忠彦さんが管生サーキットで務めていましたが、あのスタント役以降に何故か俄然とレースでも強くなった気がしてなりません(笑)。

【ローズマリー・バトラー「汚れた英雄のテーマ」】
http://jp.youtube.com/watch?v=gttT3_nIC9c&feature=related
【角川映画「汚れた英雄」】
http://jp.youtube.com/watch?v=KsEXvABRWeo&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=as3BqlYtH-Y&feature=related
【平忠彦(タイラ・レーシング)】
http://www.tairaracing.co.jp/