
今さらなんですが、僕たち「放課後倶楽部♪」は、こんなバンドです。
そんなことを伝えたくて、今年の浜名湖フォークジャンボリーの僕たちのステージ時に会場で配布させていただいた「歌集」を自分なりに検証してみました。
大きな会場だったのですが、「可能な限り」という自分なりの前提で500部くらいの「歌集」を用意してフォークジャンボリーに臨みました。
「一緒に歌いましょう♪」といっても、ソコには僕たち側から客席側への歩みより的な“仕掛け”のひとつはあっても良いかなという考えでした。
「歌集」方式は、「五十肩バンド」年末恒例のカフェ「アルカディア」ライヴで初めてKAZさんにお会いした時にヒントを得ていたんだと思います。
良いと思えば貪欲に他者の姿勢やアイデアも取り込んでしまう「袋」みたいな性格の僕です(笑)。
その最たるものが例の「ミニガンザ」です。
35ミリフィルムの空ケースを利用した簡易マラカスのことです。
このアイデアは「やらフェス」準備段階で会議の席上で紹介された「定禅寺JSF方式」でした。放課後倶楽部のメンバーは、まだ「やらフェス」が「やらフェス」なんて名称もなく、会議参加者が7~8名でしかなかったような初期の頃から準備会に加わっていた関係で、仙台のフェスのことも情報として知り得る立場にいました。
「仙台の、このアイデアは僕たちのバンドにも使えるな!今年は百人規模の学年同窓会でのライヴ計画も控えているしな…」と直感した僕は、具体化に向けて空フィルムケース集めやステッカーのデザイン起こしと発注に走りました。
考えているだけじゃなくて、行動に移さないことには何事も始まりません。
同時に「やらフェス」側にも「東京で数千個なら半年間で空ケース調達のメドは立ちました。どうしますか?」とメールで打診した記憶がありましたが、何故か返事は得られませんでした(笑)。カスタネット作りの方針が提示されたのは、かなり後のことでした。

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【表紙の前説】
※【浜名湖フォークジャンボリー・土曜・午後四時四十分(予定)の部用】
「放課後倶楽部♪」特製『歌集』?
遠足のバスの中、林間学校でのキャンプファイヤーの夕べの集い、文化祭なら体育館でのフィナーレの席…きっと、そこには、こんな「歌のしおり」があったはずです。
僕たち「放課後倶楽部♪」のステージは“参加型”です。
みんなで一緒に大きな声で歌えば恥ずかしくなんかないよね?
要は「この場を楽しんじゃった者勝ち」でいいじゃないですかっ!
ノリは一千人の「歌声喫茶」? 浜名湖フォーク・ゲリラ?(笑)
明日も、来年も、この会場でまた笑顔で再会しましょう!
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成程ね…。
言葉上は「シングアウト」を意識していなかったとしても、形態的には明確に「シングアウト」形式のフィナーレ…つまり「一緒に歌いましょうよ♪」路線を希求して前口上を書いてますね。
それを「歌声喫茶」や「フォークゲリラ」という言葉で置き換えていますが、この時点では「シングアウト」という言葉の意味をHFJ事務局長のKAZ先輩から獲得していないという恥ずかしさを露呈しちゃってますね(笑)。

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【歌集部分】
★「太陽がくれた季節」 青い三角定規(1972年)
芸能プロダクションやレコード会社によって意図的に作られたグループといった事情もあったのか、デビュー翌年には解散しています。そんなわけで“永遠の一発屋”のように言われていますが、この曲はテレビドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌として大ヒットして、80万枚のセールスを記録し、同年のレコード大賞最優秀新人賞、NHK紅白歌合戦への出演も果たしています。
何よりも女性ボーカル・クーコの底抜けに明るく爽やかなキャラと、作曲家いずみたくさんネーミングの「青い三角定規」という新鮮なグループ名が印象的でした。
そして三十五年ぶりに、本年2月から東京のライヴハウス「原宿クロコダイル」で活動を再開し、今秋には新譜リリースかも?
★「初恋」 村下孝蔵(1983年)
七夕コンサートのリハーサル中に倒れ、四十六歳で逝った“歌人”村下孝蔵さんの没後から十年を迎えようとしています。本年七月に出版された「村下孝蔵STORY~深き夢歌、淡き恋心」(落合昇平著・ソニー・マガジンズ新書)によれば、1976年に彼はヤマハ浜松でピアノ調律師の研修をしていたとありました。ちょうど僕たちが高校2年生の頃です。ちょっと親近感が湧きました(笑)。最後のシングル曲「同窓会」を収録したアルバムが無事リリースされたのは没後三ヶ月後のことでした。
★「上を向いて歩こう」 坂本 九(1961年)
この曲は「寂しい」だけや「悲しい」だけの歌なんでしょうか?
口に出して歌えば不思議と元気や勇気や笑顔が戻ってきます。
浜松出身の国際的ジャズ・ピアニスト上原ひろみさんが最新作「ビヨンド・スタンダード」でこの名曲を取り上げ「涙がこぼれそうな時だからこそ、上を向く。辛い時だからこそ、歯を食いしばる。そうやって、いつも前を向いて、生きていたい」と解説していました。生前の九ちゃんも家族に「これは太陽のような歌だ。太陽は勇気と知恵を与えてくれる」と語っていたそうです。孤独を噛みしめて歌う“勇気と希望の詩”なのです。落ち込んでいた永六輔が中村メイ子に発破をかけられて生まれた曲なのです。
★「さらば青春」 小椋 佳(1973年)
暗喩的で難解な哲学的な詩です。小椋佳さんといえば某銀行の浜松支店長時代もありましたから地元ではお馴染みのはずです。
この曲はデビューシングル「しおさいの詩」のB面でした。
井上陽水の「氷の世界」に次ぐセールスを記録したアルバム「彷徨」にも収録されていましたが、個人的にはNHKホールでのライヴ盤「遠ざかる風景」のアンコール曲のテイクが好きで、高校時代に友人から借りてきたLPを聴いて“耳コピ”練習した記憶があります。青春の定番の詩にはサミエル・ウルマンの「青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。」なんて「青春の詩」を何故か思い出しました。理想と情熱は大事です。
★「岬めぐり」山本コウタローとウイークエンド(1974年)
演奏時間が運よく余った時のための予備の5曲目です(笑)。
暗いイメージのある四畳半フォークの失恋ソングとは違う、七十年代のミッドを象徴する1曲です。傷心と、そこからの立ち直り…この会場にいる人の数だけの岬めぐりのシーンがきっとあるはずです。もしも時間があったら昨年のように皆さんと大合唱したいですね。「放課後倶楽部♪」といえば、この曲かなぁ?(笑)
本年6月に出た「山本コウタロー&ほぼウイークエンド」のニューアルバム「海」を聴きながらしみじみ書いています。へへっ!
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HFJ会場で配布させていただいた「歌集」には、歌詞に添えて、こんな曲解説も加えてみました。
そこには、僕たちが、この曲を取り上げた理由であったり、想いを綴ったつもりです。
たまたま知らない曲であっても「へぇ~、そんな歌なんだ」と興味を持っていただければ良いかなとも思いました。単なる歌詞カードに留まらず、「(後で)読んでもいただける歌集」といった編集を意識もしたつもりです。
もうひとつの側面は、MC(=喋り)の補完でした。
学校同窓会の場で550名を前に演奏させてもらった経験は「放課後倶楽部♪」にあっても、不特定多数のような1000人級の会場はHFJでしか僕たちも経験はありません。
限られた時間の中で、緊張のあまり失語症に陥り、伝えたいことも伝えきれない可能性もありましたし、MCで持ち時間を浪費して予定した曲をお届けできないのも悲しいですもんね?
今回は初日のラストの登場ということもあって、3曲目からはスタッフや出演者の方にもご登場を願っての小さな舞台転換の時間も必要だと計算していたので「極力、曲紹介のMCは割愛して、MCは『さぁ、ドンドン元気に次の曲に行きましょう!』のオーディエンス側への呼びかけに充てよう」と僕は考えていました。
そんな理由も背景にあって曲の解説は「歌集」任せにしたわけです。
今日は今年のHFJでお会いできなかった方々へ向けてのご挨拶でした(笑)。
これも、下手なバンドの生きる道?(笑)
【浜名湖フォークジャンボリー】
http://hamanakofolk.hp.infoseek.co.jp/
【フォークソングな日々】
http://hfj06.hamazo.tv/e1519392.html