学生時代の友人のツトムちゃんからコメントが寄せられました。
「突然ですが、岡山あたりではこういうことになりました。よろしこ」とあったので、「何のことだろう?」と指定されたURLに飛ぶと…。
うぎゃ!(笑)
陸自のベレー帽で、当時まだ本職の方にも一部の部隊にしか優先的に支給されていなかった陸自の新型迷彩服姿の顔写真は間違いなく俺だよ俺っ!(笑)
この迷彩服って、当時はまだ北海道の第七師団や富士の教導団くらいしか支給されてなかったんじゃないのか?
習志野の第一空挺団の方も不思議そうな顔してたもんな(笑)。
だって、ほら、軍隊って伝統的に“横流し”とかあるし♪(笑)
防衛庁も「一体、どこで手に入れたんだ!」みたいに露骨に嫌な顔してたもんなぁ~!
よく、こんな顔写真があったなと感心したけど、これは長野県菅平であったサバイバルゲームの全国大会に御殿場の雄「デルタフォース」内の「オメガチーム」の一員として参加していた頃の写真だろうな。
無線機も装備しているしね。
若い!(30歳台も前半か?)
しかも髪が短い!
毎週のように東富士演習場付近を「武装」(?)してフル装備の軍装姿で長靴で走りまわっていた頃だから、太ってもなさそうだし…。
今よりも随分と真面目そうな堅気の青年に見えるじゃんね?(笑)
用件は何かと思ったら、サバイバルゲームの話題でした。
電動エアーガン等で6mmBB弾で野原で撃ちあって遊ぶ、陣地取りゲームみたいなものです。僕にとっては子供の頃に遊んだ「銀球鉄砲」や、チャンバラゴッコの延長みたいな感覚でした。
ツトムちゃんと1対1で大井埠頭内の広大な埋め立て地までバイクで出かけて撃ちあって遊んだのが最初か?
日本にサバゲを持ち込み、流行らせたのは名古屋の「NINJA」ってチームでしたが、おまぬけなことに大学レベルで日本最初にサバゲ・サークルを立ち上げたのは…恐らく私です(笑)。
物珍しさからなのか、当時の大学受験雑誌の巻頭グラビア等で何誌か取材を受けた記憶があります。
何やら、岡山県下のサバゲチームで、私のニックネームを冠した「マルパー・システム」なる遊び方が導入されたとか…。
しかも25年も前に適当に思いついた遊び方らしいんですが、導入したとされる本人(俺!)さえ忘却の彼方の事柄なので、そんなことを記憶していた彼の方が天才だわ!
まるで「マルパー(=俺)死んで、名前を残す」みたいじゃん!(笑)
そんな遊び方をする10代の若者がいたとして、「マルパー?変な名前だよね。昔、東京にマルパーさんってバカな人がいて…」って後世に伝わるのか?(笑)
でも…なんか嬉しいかも(笑)。
この辺が素直で可愛いところがある僕です(笑)。
俺がサバゲから撤退したとすれば、世間では「オウム真理教」の事件が沸騰していた頃だから、もう15年くらいのブランクになるのかなぁ?
最後の愛銃は東京マルイの電動エアガン西独H&K・MP5SD3かな?
ハンドガンは最後まで渋谷のウエスタン・アームズ(WA)製の初期の「コンバット・コマンダー」を気にいって腰に下げていたかな?
劇画家・小林源文先生の作品に登場する陸自の特殊部隊「オメガチーム」の名称を先生から許可を得て仲間で使用していたので、その作画設定通りの銃の制式採用だったんだろうな。
親友のツトムちゃんは多芸多才で手先も頭も器用で賢い子で、バイクに限らず、音楽ならギターも弾けば、曲も作るし、一時期はキーボードもやっていたような気がします。
ビリヤードもやれば、居合もやるし、フライ・フィッシングもやるし、イラストも描くし、詩も書けるし、俺より文才はあるし、バイク・レースにも挑戦するし、本当に昔から多趣味の極地だったよなぁ~!
少なくともコーナーでは僕より格段に速かったよね。
しかも漢字だって僕より詳しかったよね?(笑)
韓国の「光州事件」の頃、軍事独裁政権の「全斗煥」大統領の名前を「全斗換」と間違ってガリ版刷りのアジビラに書いて配ってしまった僕を見て、「うひゃひゃひゃひゃ!」と涙を目に溜めて腹を抱えて笑い転げていたのは…君だったよ!(爆笑)
そんな愉快な時代もあったよね?
弁や筆が立つのは、相変わらず論理的な文章を読めばわかるしね。
彼のブログのサブタイトルが「思想を共有する五人は、文化無き百人を凌駕する」と奮ってるもんな。
しみじみわかるタイトルです。
だから今も「米軍の劣化ウラン弾の使用に反対!」している正しい資質の元青年です。
広島県在住でアコギ弾きだったので、どうやら大竹市のフォーク好きの皆さんとも盟友ツトムちゃんは面識があるそうで、世間は狭いと苦笑しています。
小池も、「過激派」時代・バイク乗り(2輪通学者井戸端会議・ライディングハイ連絡会・MCヤタガラス等々)時代・サバゲ時代・「イカ天」(インディーズ&パンク)時代と色々あって、その飽きっぽさは相変わらずですが、こうなると今の“フォークソング・バンド時代”も何時まで続くものかと周囲も含めて本人もハラハラですね♪(笑)
お~い、ツトム~!
「バイク・ジャンボリー」の次は全国「フォーク・ジャンボリー」時代かもよ?
やっぱり俺達って、とことんミーハー世代か?(笑)
えっ、ミーハーなのは俺だけか?
俺の紹介で「戦後中国大陸で初めて大砲を撃った日本人」って事実も笑えました。
すげぇ~危ないテロリストに思えるけれど、アレって例の江子田のモデルガンショップ「G」主催の「中国射撃ツアー」の下見で出かけた時に、現地ガイドが人民解放軍に「彼らは日本のコミュニストで、来るべき武装蜂起に備えて、学びに来ました」とか適当な嘘をデッチあげて紹介したんだろうな(笑)。
そのせいで、戦車学校では将軍閣下様に囲まれて熱烈歓迎受けちゃって、T54かT55みたいな戦車に乗り込んで手動で砲塔のターレット・リングを回して、主砲の同軸機銃でバースト射撃させてもらったりした記憶が…あるかも?(笑)
確かに155mm榴弾砲も撃たせてもらったけれど、あの砲弾っていったい何処へ着弾するんだろうと心配になったよ(笑)。
目の前の山に着弾するより、はるか仰角がかかっていたから確実に山を飛び越えていったと思うしね。
時は流れて、最近はこんな風体だよっ!(笑)
【渓流詩人の徒然日記(2008年2月8日編)】
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=327786&log=20090208
【渓流詩人の徒然日記(2月12日編)】
http://www3.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=327786&log=20090212
【「渓流詩人のカフェテラス」HP】
http://kelu-cafe.com/